2014年5月29日木曜日

日本維新の会分裂:橋下さん、石原さんの何に期待していたのか

日本維新の会がついに分裂した。私たちは橋下さんの何に、石原さんの何に期待していたのか。12年のエールの仕合は一体何だったのか。2人の目指していたのは何だったのか。遅すぎた分裂、当然の帰結とも思える分裂劇だった。

橋下さんはフレッシュな政治家として地方政党でありながら、大阪都構想実現に向け国政に進出、グングン引っ張ってきた。石原さんも政府、中央官僚にもの申すカリスマ政治家として名声(?)を得ていた。

しかし、今から考えるとメデイアが作り上げた虚像だったのか。

当初はメデイアも2人を囃し立てた。

「中央の官僚に任せてはおれない」、「巨大な政党に立ち向かうには小異を捨て大同で野党結集を」、「石原さんの力を利用しない訳がない」、「オレは年だから橋下君が国政に出てくるまで」とエールを送り合った。

それからおかしくなり始めた。

「醜い現憲法に代わり自主憲法制定を」、「結いの党とは憲法感が違う」、「政党支持率0%同志が集まっても仕方ない」など不協和音が聞こえてきた。

そして、橋下さんは結いの党との合流で野党再編を狙うが、石原さんは「憲法観が違う」と拒否、2人の溝は埋まらなかった。

野党再編を目指す橋下さんにしてみても、堺市長選以来「大阪都構想」はパットしない。「堺市はなくなる」「いや、堺市は残る」が争点では大阪都構想も理解されていないことだ。

野党再編へのイニシアテイブを取り、劣勢を挽回したい橋下さんだが50人ぐらいの橋下グループを、どう大きな力に持って行こうとしているのか。憲法改正、取り敢えずは集団的自衛権で結いの党とどこまで合意できるのか。

石原さんのグループは10人程度か。石原さんのブランド力もすでに陰りが出て来た。

2日の両者の会談で分党が決まり帰京する石原さん、平沼さんを記者が取り囲んで質問しようとしたが、平沼さんは「うるさい あっちに行け」と記者を遠ざけるのを見て驚いた。

ピンチな時こそ、国民にしっかり対応するのが国会議員の使命であって、この姿は国会議員の資質を欠く行為と映った。

恐らく、石原グループは衰退の一途だろう。

数あわせの野党の離合集散は国民にとっては迷惑な話だが、失敗して1人去り、又1人去りで政治家が忘れ去られていくのか。


民主党政権の失敗は政界の修復不可能なところまで来ている感がする。維新会の分党も延長線上にある。

0 件のコメント: