「ブラックボックス」化した、ゆがめられた都政が行われていたその土壌は、連続するタレント知事の分身登用での恣意的人事で我が物顔で闊歩する特別秘書、副知事の存在があったのではないか。
そういった行政の間隙を縫って台頭し、権力を掌握したのが「ドン」と悪名高い内田都連幹事長ではないか。
小池新知事の利権調査に関連して都政の悪が明るみになってきた。メデイアは石原、猪瀬、舛添さん達の都知事時代の不祥事を暴き出す。
石原さんは週に1~2日しか登庁せず、都政は秘書だった浜渦さんを特別秘書か副知事で登用し任せた。官僚が上げる政策はまず浜渦さんに説明し、知事まで上げていくかどうか決めたという。
そんな事をやっている内に「やらせ質問」(?)の疑惑が持ち上がり議会で責任追及され石原さんは涙を呑んで浜渦さんの首を切った。その背後では内田さんが調整に動いたという。
あの時の石原さんの記者会見は今でも思い出すことが出来る。今分かったことは石原さんが内田さんに頭を下げたということだ。
同時に石原さんはあまり登庁していなかった。都知事選である候補者が「私は毎日登庁する」と公約していたほどだ。
又、石原さんは道路公団民営化で辣腕を振るった猪瀬さんを副知事に登用した。「虎の威をかる」ごとく議会、官僚を無視した行政を行った。議会とはギクシャクしたらしい。
国政に進出したかった石原さんは、猪瀬さんを後釜に推薦し、猪瀬さんは400万票を獲得し知事に上り詰めたが「政治とカネ」問題で失脚した。
猪瀬さんの辞任後の知事選で舛添さんが当選、クリーンな政治を期待されたが、高額な海外視察に始まり公私混同、せこすぎる政治資金の使い方に批判が集中し辞任に至った。
この間の議会、自民党議員の右往左往はテレビの報道番組で目の当たりにしたが、その背後にはドンと呼ばれた内田さんの意向が大きく影響していたのだ。
後から分かったことだが、舛添さんも余り登庁せず、2人の秘書が重用され1人は都庁で都政を預かり、1人は舛添さんの事務所に勤務していたという。
石原、猪瀬、舛添さんの知事時代の非常識な行政のやり方が内田さんという人物が都政を牛耳る事を許してしまった。誰かが言っていたが、「調整する人物が必要だった」という。
小池さんも知名度のあるタレント議員とも思われるが、特別秘書、副知事で恣意的人事をやってはいけない。都民の納得のいく行政手腕を発揮して欲しい物だ。
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