朝日新聞(2022.1.1)一面、二面にわたる「未来のデザイン「未来予想図ともに歩もう」「描き続けよみがえった森と村」で、未来はこれまでの延長線上にはないかもしれない、だから「よりよい未来、姿」を求めた活動を若者が実施しているという。
未来人の立場で現在必要な行動は何かを考える行動が広がっているというのだ。
コロナ禍で今までの社会経済活動、政治のやり方が変わってきたように思えるが、コロナが鎮静化に向かうとコロナ前への再生を願う動きが出てきた。
うがい、手洗いは慣れてきたが、マスクの着用はどうなのか。テレワークが推奨されたが今は通勤に戻った。会社の上司にとってはテレワークはいやなのだ。大学はどうなるのか。対面教育がなければ通信教育ではないか。技術系はどうなるのか。
夜間勤務や長距離トラック輸送などは人間らしい仕事とは思えない。飲食店でアルバイトが戻ってくるのか。高齢化した運転手では長距離運転も無理になり物資の輸送に支障が出てくる。
国会のあり方も問題だ。有権者は減るが国会議員数は減らない。地方出身の議員は東京で安価な宿舎を与えられ政治活動をやっている。文書交通費など疑惑の費用を平気でもらっている。国会審議となると予め質問を提出し、官僚が書いた答弁を担当大臣が委員会で読み上げている。これだったら議論ではない。HPで掲載すれば良いだけの話ではないか。
飲食店や観光地は「お客が帰ってくるか」と不安らしい。GOTOとラベル、イートに期待するが旧来のビジネスへ向かうのか。
一方、地方も衰退の一途だが、農林業で若者が活躍しているシーンも増えてきたらしい。
さらにニッチの市場開拓で多くの会社が設立され売り上げも急増しているという。感染症の歴史を見ると感染症が出現するたびに決別するのではなく、社会が形、姿を変えて向き合っていくというのだ。
その動きが「フューチャー・デザイン」と言う考え方らしい。その根底には「今の市場経済や民主制と言った社会の仕組みに限界が来ている」という問題意識があるというのだ。
もう大きな経済成長は期待できない。高齢化、人口減もあり成熟社会を目指すしかないのだ。そのために何をなすべきか。フューチャー・デザインは考えるチャンスを与えてくれる。
ところが話は反れるが、市場経済、民主主義も変わってきた。バイデン大統領の「民主主義」に対して習主席の「中国式市場経済導入」「中国式の真の民主主義」があるというのだ。中国は市場経済を導入し混乱しているというし、共産党独裁政治の中で民主主義があるという。強権で反政府勢力を潰してでも議会で圧倒的に賛成が得られるなら、これも民主主義なのだ。
米国vs中国、2022年はここに行き着く。
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