今、160円付近の円安を130円付近の円高に改善するために日銀、政府は四苦八苦しているが、ちょうど逆に、円安から円高に宮沢喜一さんが打開策に行きこむが、挫折した結果が朝日新聞(2024.7.14)の宮澤喜一日録で知ることができる。
挫折、失敗した宮沢さんが回顧録に期している。「巨額の為替介入してもブラックホールにカネを投げ込むようなもので、一向に相場は動かない」「実際にやりようがないという経験をした」というのだ。
宮沢喜一さんは当時自民党総務会長、蔵相として360円から1973年、変動相場制になり1986年240円から150円と円高が続き輸出産業は悲鳴を上げていた。そして1988年には120円台で円高が止まらない。
宮沢さんは米国と共同で利下げに向け連携し、1987年に利下げに踏み切ったが円高は止まらない。蔵相を退任する1988年には120円台に。
この時の子経験を上記のように記したのだ。今も160円を境に政府・日銀と市場は介入でけん制しているが、一時的には円高になってもすぐ円安の傾向だ。宮沢さんが経験したことが逆だが同じことをしているのだ。
市場はしぶとい。「市場の見えざる手」に任して金融政策をやる方が政府や日銀が修正しようとする政策よりマシなのではないか。
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