2025年6月7日土曜日

東電事故、高裁判決から:裁判で経営トップの安全意識が変わるか、裁判官は良心に従って判断しているのか

 今回の東電事故の高裁判決に関し東電は「特にコメントせず」と安堵感だが原告の株主、被害者、国民には納得いかない判決だったのではないか。これほど大きな被害を出して誰も責任を取らないことに裁判への不信も高まる。

新聞に出た控訴審の判決要旨に注目した。

判決の【その他】欄で、「予見可能性が認められない以上は法的損害賠償は認められない」が「電力事業者にはいかなる要因に対しても事故を防ぐ措置を怠らず普段の取り組みが求められる」というのだ。

だったら 賠償責任を命じるべきではないのか。「予見可能性が認められない」ということは寿言うようなことではあるが、会社への責任を回避するために東電の作戦としてこう主張しているのではないか。東電の誰でも「まずかった」という考えは持っているはずだ。

また、裁判では最高裁の考えが踏襲される。

今回も、22年の「現実に怠地震は想定より大規模で対策をしても事故は防げなかった」という考えと25年の「長期評価の信頼性が乏しい」という判決があり、どうしても上級審に行けば踏襲することになる。

新聞報道でも専門家がこのことを指摘し、ゼロになる可能性もあると言及していたが、そのとおりになった?

裁判官もサラリーマンだ、最高裁の判決に反するような判決は出しにくい。その点一審判決は大いに参考にすべき判決だったのではないか。

裁判で争っても安全確保は難しい。

規制委の山中委員長の「安全の第一義の責任は事業者にあり、経営のTOPである社長が安全に関してどういう意識を持っているかが非常に重要だ」という。東電で福島第一原発廃炉工事で安全に反する事案が多く発生していることに対する委員長の発言だ。

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