2010年4月30日金曜日

小沢擁護に、どんな「国益」があるのか

私達が選んで国会に送った民主党議員が、小沢擁護に走っている。何故小沢擁護に走るのか。その様子は目に余るモノがある。

小沢さんは、代表選で「私こそ変わらなければなりません」と宣言し、対抗馬の菅さんにかった。国会では改革に取り組んでいる。自分の「政治とカネ」の疑惑を覆い隠すほどの期待が込められていた。

しかし、今になって「少しも変わっていないじゃないか」と感じる国民が多いはずだ。それなのに何故、こうも民主党議員は小沢さん寄りの行動、小沢批判に口をつむぐのか。

政治改革、寄り合い世帯の民主党の統制、いわんや今後課題になる政界再編は、小沢さんの剛腕でなければ達成できないと見られている。しかし、政治主導と言っても今の民主党政権を見ていると政権の体を為していない。政治手法が稚拙すぎ、混乱を招いている。

考えの異なる人達の寄り合い世帯をまとめていくのは大変だと思うが、数あわせの強引な再編は禍根を残す結果になることは分かっている。小沢さんの剛腕ではなく、政策の方向性を出して、離合集散した方が民主政治を考えると理に合っていないか。

小沢さんの強面で、寄り合い所帯、連立政権を維持するのは、所詮無理なはなしである。

民主党の安定単独政権を目指すという。しかし、その手段はあからさまな利権誘導での票の取り合いであり、国民の思っている開かれた民主政治とは似ても似つかぬ政治手法である。

「政治とカネ」の問題で、小沢さんは検察機関からピンポイントで攻撃されており、小沢さんを守ることが民主政治を守ることだという考えもある。しかし、小沢さんは自ら違法すれズレのことをやっている。疑惑も長年指摘されていることである。一度裁判で「真実の究明」をやり、小沢さんが言うように「何らやましいことはない」と言うことを証明した方が、よっぽど「国益」にあっていると思うのだが。

小沢さんは選挙に強いと長らく言われてきた。神話のようなモノがある。新人を発掘し、小沢秘書軍団がフォローするやり方は見事なモノで、そのためにも政治資金は必要になる。しかし、小沢さんは政治を闘争と言っている。これは民主的な政治を支える選挙なのか。

今回の小沢さんの政治資金規正法疑惑の「強制起訴」に繋がる「起訴相当」議決で、小沢さんの長年の疑惑を裁判で明らかにする方が、余程「国益」に合っていると思うのだが。

新党結成でも、「反小沢」を掲げているが、皆がたかって反小沢と言うほど、価値のあることなのか。

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