2011年6月30日木曜日

内閣不信任決議案否決が政治への虚脱感を高める




今、政治への虚脱感が強く、この数日のメデイア報道も腑抜けた内容だ。先の内閣不信任決議案では、「もしかしたら可決か」とメデイアは煽ったが、民主党内の造反を回避しようと鳩山さんが動いた結果、民主党内を沈めることが出来、大差で否決する結果になり、はしゃいでいるのは菅さんだけ。

その後に続く民主党両院議員総会も、「脱原発」の解散・総選挙もあり得ることを匂わせた菅総理の強かな戦術も見えたが、不満分子の中途半端なガス抜きで終わった感がする。

復興担当大臣を選任もその舞台裏を知ると、あの松本新復興大臣の「民主党も自民党も公明党も嫌いだ」という発言もそうだろうと思う。2度も断り3度目に了承したという。こんな求心力を失った政権で大したことは出来ないと皆考えているのだ。「被災者のためにがんばる」と言ってもむなしく聞こえるだけだ。

浜田自民党参議員の復興担当総務政務次官への起用も唐突感は否めない。亀井さん達が、連立与党の参議院での過半数確保のための数あわせが目的だと聞いて、浜田さんは何を考えているのだろうと疑問に思う。実績、実力のない無節操な政治家の浅はかな行動だ。浜田さんは総務省で「力強く前へ進める」と挨拶しているが、釣られた側にも問題はある。

こんな政治家を笑ってはいられない。今の民主党執行部だって、これ程虚仮にされながら、何故その職にしがみついているのか。

内閣不信任決議案を提出した自民党も「今、何をやっているんだ」という批判に民主党政権と戦う意欲をそがれ、被災者の救済にウェートを置かなければならなくなった。野党の民主党追求でも曖昧さが出てくるだろう。

間違いの元は、先の内閣不信任決議案にあった。

本来の目的は、菅総理の政治手法では震災対応、原発事故対応に遅れが出ており、菅総理は辞任して政治手法を変えなければならないというモノではなかったのか。

ところが、だんだん権力闘争の様相を呈してきて、「今、菅降ろしの時ではなかろう」と批判されるようになった。

菅総理は「それ見たことか」と思ったかどうかは知らないが、退陣の時期は明確にせず、「一定の目処」と言うばかりで、やりたい政策を小出しにし、政権の延命を図っていると批判される。一度納得していた国会会期50日延長も、解散・総選挙を考えたときには70日が必要になる事から3党合意を拒否したようだ。しかし、未だ国会の審議は始まっていない。

菅総理には嫌気がさしているのだが、「総理の座」から引き下ろすことは並大抵のことではない。

憲法第69条には内閣不信任決議案の他に内閣信任決議案も出せることを記している。菅総理に反対する野党が内閣信任決議案を出し、否決する方法もあるがコレこそ権力闘争のもっとたるモノで、やってはならないだろう。

あの時、不信任決議案が可決されていたらどうなるか。

菅総理は総辞職するか、解散・総選挙するしかないが、新しい民主党代表を選んで、総理をどの党から出し、誰が総理に付くか。更には今時、780億円もかけて総選挙をするのか。

菅総理が退陣しても、その後の展望が見えてこない。主導権を握らんとベテラン議員が動くだろうが、今でも若手・中堅議員との間に溝が出来ている。

菅総理が居座るのも地獄、退陣するのも地獄の政界だ。国会は完全にメルトダウンしているが、政治に対する虚脱感からは早く脱しなければならない。

解散しかないか。


写真:一本釣りされた浜田さんが、総理と握手をしている前を亀井特別総理補佐官が横切る。今回の人事は亀井さんをはじめ旧自民党の3~4人が連携してシナリオをつくったらしい。亀井さんはこれで参議院で連立与党が過半数を握れチャンスをつかんだという。何時の時代も数あわせで政治が動くのだ。2011.6.30 テレビ朝日スクランブルより

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