今、「京大変人講座」が注目されている。何故だ。思えば一番役立つ講座ではないか。今読み始めたばかりだが、「便利さ」が人間をダメにしていないかと反省する。今の世の中にあって「不便さ」の効用がうたわれているのだ。
京大は「あの人変人だよね」と呼ばれれば「立派な褒め言葉」というし、京大の「常識」は世間の「非常識」と言われているらしい。そういえば京大出身のノーベル賞受賞者の口癖は「専門家、権威者の言うことを疑え」、「教科書を信じるな」だった。学問の常識、定説にとらわれていてはいい研究結果は得られないというのだろう。
アマゾンで「京大変人講座」を注文して3週間後にやっと届いた。読み始めたが、今回は第4章「何故、遠足のおやつは300円いないか・・人は不便でないと萌えない(川上浩司)」に注目した。
確かに世の中は「便利さ」を追及する反面、「不便」が解消されてるように見えるが、「それで社会は豊かなのか」「何かを失っていないか」「モチベーション?」と問う。今流行りの「自動化」にも落とし穴があり、「不便でも人は楽しめるのだ」と言う。
講座の内容を読むに従い実生活で「そうなんだ」「経験したじゃないか」と相槌を打つ。「不便」でもいいものだと感じられるようになるし、警告にも理解が広がる。
「不便なもの」が社会を豊かにする(川上浩司)。年を取ると実感できるのだがそれでは遅すぎないか。
孫が面白いお菓子を買ってきた。いくつかに区切られたプラスチック容器の区分毎に何種類かの材料が入っていて、比較的大きな区分に粉と水を入れてかき混ぜると粘っこい飴状のお菓子ができる。確か色が均一になったところでかき混ぜは終わり箸などに巻き付けて舐めるのだ。満足げな顔で皆に分け与えて舐めている。
かき混ぜるという手間をかける「不便さ」はあるが面白いらしい。ヒット商品らしかったが今はどうか。
日々自動化が進んでいる。特に車の安全確保システムの進化は早い。12年乗っている車の買い替えを考え、デイ―ラ―に行ったが、フロントガラスに速度、ナビ情報が移り、目を下にやり計器類を確認しなくても前方見ていると当時に情報を得ることができる。車線変更するときは首を左右に振り安全を確保しなければならないが、ドアーミラーに後続車の情報が警告されるようになっている。もちろん追突防止の自動ブレーキもついている。GPSとガードレールなどへのセンサー取り付けなどインフラ整備で自動運転までできそうだ。
しかし、考えてみよう。運転者へ要求される安全確認能力はどうなるのか。運転するときは車の周囲の安全を確認しなければならないがこれではその能力も必要としないのでは劣化するばかりではないか。「便利さ」を追求するあまり大切なものを失う結果にならないか。
自動化で気になるのは、マンションでのエントランスなどのエントリーキーなどによる自動開閉だ。今、首都直下地震の切迫性が言われているが、地震により停電するとエントランスでのキーによる開閉ができなくなる。その時は非常階段などでドアーをキイで開け閉めしなければならないが、多くの場合平常時はキーを持たずに外出している場合が多い。そうなると万一の時にマンションに入る手立てがないのだ。だから外出するときは必ずキーを持つことが大事なのだが、私の住んでいるマンションでは「誰かが部屋にいる」ことを前提に行動している。
自動化には落とし穴がある。「便利さ」になれているとイザと言うときにどうしていいかわからないのだ。
乗り物も便利になった。歩く代わりに自転車、車に乗り移動する。移動するスピードが速ければ街の情報が十分に得られない。歩くと周辺の状況が丸見えだ。「こんなところに喫茶店が」とわかると入ってみようという気になる。「街角の喫茶店」は雰囲気もいい。
面白いのは「300円以内」という絶妙なウキウキ気分だ。
孫が明日遠足で「300円以内で」お菓子を持ってきてもいいということになった。コンビニかスーパーへ行くのだが、お菓子の数が多く、しかも値段が安いということでコンビニに行った。目を輝かせてお菓子を選ぶ。おカネの計算もしながらオーバーすると返品しほかのお菓子を組み合わせる。「300円」と制約されることは確かに不便だがお菓子選びは良い思い出になるようだ。京大変人講座では物の価値を上げモチベーションを高める効果が「不便さ」にあると説く。
介護施設でのバリアフリーにも問題があるという。危険なので階段や急こう配を避ける傾向にあるが、それを逆手にとってむしろ介護や素行訓練に活かす手段を取った介護施設が評判になっている。「不便さ」を逆手に取ったよい事例として評判になっているのだ。以前にテレビの情報番組で紹介されていたので思い出す。
AIとか完全自動化などで世の中は「便利」になりそうだが一概にそうとは言えない。「不便さ」は手間をかけることに役立つ。AIを利用し受付をロボット化し省力化したホテルが出現したが、評判が今一つらしい。決められたことは処理できるがお客さんの要望に応えきれないのだ。そこでロボットを縮小することにしたらしい。いろんな要求事項を処理するにはロボットでは無理なのだ。「人間の手間」が要求されるのだ。
「不便」は手間だが役に立つという。「製品が進化するとうつ病にかかる人が多くなる」と警告している。「不便」を取り入れ工夫する、考えることが大事なのだ。
確か、川上先生は「素数物差し」を考案したと聞いたことがあるが「京大変人講座」でも紹介されている。物差しに2,3,5,7・・・と素数しか記されていないのだ。それが評判で売れているらしい。例えば普通の物差しなら4cmを測ろうとすると0-4を線引きすればいいが「素数物差し」だと3-7を線引きするのだ。「不便」だが一度頭の中で計算する必要がある。
面白そうだ、次に京都に行ったとき京大の生協によって買うことにしようと思う。
私も京大出身だ。共感する点が多くある。変人かもしれない。孫に聞くと「大いに変人」だという。
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