2009年7月22日水曜日

旅籠「寺田屋」は、今日も史跡で営業中







2008年9月頃だったと思う「寺田屋騒動」、「坂本龍馬襲撃事件」の舞台がレプリカではないかという疑いが持ち上がった。その後、京都市の調査で、当時の寺田屋の建物は1868年の鳥羽・伏見の戦いで焼失したと判断した。
 
 そして、老経営者が「旅館」を廃業するというニュースも流れていたので、京都に寄った帰途、今どうなっているか寺田屋に行ってみようということになった。

 史跡寺田屋は、休日のせいもあってか、今も若者から高齢者まで年代を問わず、見学者で賑わっている。

 この寺田屋は、京橋を発着する淀川の船便の船宿として栄え、寺田屋事件のころは、薩摩藩士の船宿として、また倒幕派の定宿として使われていたそうだ。

 1862年、尊皇攘夷派(急進派)の薩摩藩士有馬新七らが、関白九条尚忠、所司代酒井忠義を殺害しようと、ここ寺田屋に集まったが、一方で薩摩藩には島津久光を中心に公武合体の温和派がおり、この殺害を阻止しようと藩士8人を寺田屋に送り込んで説得したがかなわず、乱闘になり急進は9人を殺傷するという寺田屋騒動の舞台となった。

 また、1866年には、定宿としていた坂本龍馬が暗殺されそうになり、風呂に入っていたお龍が、裸で階段の駆け上り急を知らせたという坂本竜馬暗殺事件の舞台にもなった。

 「寺田屋 坂本竜馬」の表札には、何やら営業臭さを感じる。400円で参観した。今も旅館をやっているらしく、6500円の宿泊料が表示されている。

 狭い部屋に、土産物がこれでもかこれでもかと並べられ、古文や漢文の資料が多く展示されているが、解説もなく内容が分からない。その真贋まで疑われる。

 営業魂旺盛な陳列であるが、一つだけ良心を示す資料が展示されていた。

 「幕末の寺田屋 焼失確認」の新聞記事だ。それによると、京都市は古文書などの資料を調査し、鳥羽伏見の戦いで焼失したことを確認、今の建物はその後再建されたものと判断した。京都市はそれに基づき、誤解を与えないように展示の改善を要望している。これに対して寺田屋は「あくまで市の見解」とコメント。

 しかし、この記事に目を向ける見学者は、ほとんどいない。
 2階に上がり、柱の刀痕のあとを見ている見学者に、女性従業員が「当時、刀で斬りつけたときに出来た傷です。皆が指でこするので、こんなになってしまいました」と間違った説明をしていた。本物なら触らせない工夫がされるはずだ。

 竜馬の部屋と言われる部屋もあるが結構狭い。こんな狭い部屋で刀を振りかざして戦えるのかと疑問が出てくる(勿論逃げたのだが)。焼失した建物の部屋もこんなに狭かったのだろうか。
 
 1階のお龍の入っていた風呂も面白い。「有名なお風呂です」と表示されているが、どうやって湧かしていたのか。ただ風呂桶らしきモノが置かれているだけだ。その当時のまま保存されているのであれば、もっと風呂場らしくなっているはずだ。

 有名作家の小説に合わせたPRならまだしも、「寺田屋騒動」「坂本竜馬襲撃事件」という歴史に基づく観光スポットを売りにするのであれば、このやり方はまずい。娘に「これはすべてレプリカなのだ」というと、「お父さん 大きい声で言うんじゃない」と顔をしかめた。

 民間業者の経営のことを考えれば、本物らしく見せるのが良いのだろうが、「その当時の建物ではない」と目に見えるところに表示すべきである。京都市が要望する誤解を招かない改善が要求される。

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