ジョン・ミルン 展示資料より |
特別公開会場内 2013.9.7 |
日本で地震学の基礎を築き、世界で最初に学会・日本地震学会を創設、地震計の開発にも手をつけ、ミルトン水平振り子地震計は世界各国で設置された。地震学の父とも言えるジョン・ミルンの生誕100年を記念した特別公開を国立科学博物館で見た。
展示資料を見ると、ジョン・ミルンは地質学、鉱山学を取得し、日本で教職を得て来日したいわゆる“お雇い外国人”だ。来日翌年には噴火を始めた伊豆大島、浅間山を積極的に調査したという。
何よりもジョン・ミルンにとっては地震に出くわしたことが地震学へのめり込む要因になったようだ。1880年には世界で初めて地震学会である日本地震学会を創設した。
ジョン・ミルンの地震学概論で、地震学とは「地震の原因」「その万物に及ぼす影響」を広く議論することだと教えている。その考え方は東京帝国大学の関谷清景や、大森房吉、今村明恒らに受け継がれた。しかし、1923年関東大震災後は、物理学の必要性が叫ばれ地震研究所が設立されたという。
明治時代近代化のため、多くの“お雇い外国人”が来日した。大森貝塚を発見、発掘した生物学のモース博士もその一人だったが日本の考古学の発展に尽くした。ジョン・ミルンも親交があったのだろう発掘作業に協力している。
彼らの偉いところは専門を越えて学問を発展させたことだ。ジョン・ミルンも地質学、鉱山学が専門だったが、地震学の発展に寄与した。
会場内には、各種地震計、時計、望遠鏡、顕微鏡など多数が展示されていた。
今村式地震計で捉えた関東地震 の記録 |
今村博士の今村式2倍地震計では、東京帝国大学での1923年の関東大地震の貴重な記録が展示されている。記録紙にはIMAMURA-1,Sep1,1923と記されていた。
1891年の濃尾地震の記録写真は貴重な資料を提供してくれている。地震の発生は知っていたが、これほどの記録が残っているとは知らなかった。記録にも力を注いだ証拠である。
関谷清景博士の「地震動軌跡模型」も面白い。1887年1月に発生した地震の記録を元に、地面の動きを21秒後、41秒後、72秒後を針金で立体的に表現している。実際の地震では、ドンと上下、ガタガタ横揺れ、ゆっくり左右に揺れる動きしか実感出来ないが、実際にはこのように動いているのだ。
関谷博士の地震動軌跡模型 |
公開展示されている国立科学博物館には最終日の前日(7日)に見学したが、年配者から若い女性まで幅広い年代の見学者だった。地震は身近な問題なのだ。
ミルン式水平振り子地震計 世界各地で設置されたという |
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