2019年1月2日水曜日

2050年 日本は持続可能か:価値観、生き方を変えれば東京から地方へ動くのか


個人の生き方 新時代を左右 2050年AIの予測シナリオ
朝日新聞 2019.1.1
人は価値観や生き方を変えれば東京など一極集中から地方へ流れ、持続可能な日本社会を再構築することができるのか。朝日新聞(2019.1.1)「個人の生き方 新時代を左右」と言うタイトルの記事でAIによる2050年を予測する記事に注目した。

同上
それによると149の要因をプログラムしAIが「未来社会」をシミュレート、「東京集中型」か「地方分散型」の3通りにわかれ、まずその分岐点が79年後の来るという。早くて2026年に来るのだ。

そして地方分散型の持続可能なシナリオへ向かうタイムリミットは1619年後、2035年になる。地方を活かし、財政も保つバランスのある未来を開くべきだと提言している。

2050年を目指し2026年、2035年がどんな社会を選ぶのかの重要な時期なのだ。

私にとっては寧ろ149の要因が何であるかを知りたいところだ。

大事な要素は人口統計だろう。国立社会保障、人口問題研究所が20121月に発表した資料では201512711万人、21104286万人だ。1/3になってしまう。更に3776年には子どもの数がたった1人だという。人間が絶滅危惧種になり、他の動物が人間の生活をあらさないような対策を取ってくれる時代が来るのか。なにやら「猿の惑星」を思い出す。

東京一極集中が社会問題化しているが政府機関は「年配者は東京を離れ地方へ」と提言をまとめた増田さんが東京都知事選に出馬したが惨敗した。「東京から地方へ行け」と訴えていた人間が知事になって何をしようとしたのか。

また、自然環境も重視しなければならない。人手の入らない自然を「1次自然」、人に優しい自然が「2次自然」、これに手を加えすぎると生態系のバランスが崩れてくるが、人が自然を思うままにコントロールする自然を「3次自然」といい食料を得たり住環境を作る(「自然・人間 危機と共存の風景」 星野芳郎高段者α新書 2001.8)。

今、日本はどこだ。「3次自然」の段階だが都市開発のために自然破壊が進み自然災害で大きな痛手を受け、住環境も乱れ高齢者には住み難くなってきたし、災害後の復興計画もままならないのだ。

私も今は東京に住んでいるが結婚式などで岡山に帰り親戚の連中と話をするが田舎の地方都市の問題を沢山抱えている。

昔は集落に13軒の家があったが、今は半分の6軒になってしまい年寄りばかりだという。バス会社も経営難で路線の危機があったが岡山の大手バス会社がつないでくれたと言う。

少子化で生徒数も減るのだろう。2つの県立高校、1つの私立高校があるが、今でも優秀な生徒は大きな街の進学校に通い、1つの県立高校も隣の街の県立高と統一の話が出ている。

山間部の父方の実家に行って見ると空き家で、昔、田植えをしていた田んぼは便利な場所は売ったり、貸したりしているが他は草ボウボウで木も生えて山野状況だ。

集落に1軒あった店も閉めて今ではタクシーか車で20プ分掛けて小さなスーパーに買い物に行くらしい。

チョットした町でも集落近くにスーパーが出来ていたが、郊外型の大型スーパーの出現で高齢者の買い物は難儀だ。「買い物難民」と言うらしい。東京でもスーパーまで750m以上かかる場所は「買い物難民」になるらしい。驚いたことに移動販売者、コンビニの販売車も活躍している。

それでも手押し車に食材を入れてゆっくりゆっくり歩いている高齢者を見ると自分の未来像を見ていることになる。そう遠くはないのだ。

定年後は「田舎に帰って何か仕事を」と考えた事もあるが、今は共稼ぎの夫婦の子育てを助けた方が先決だ。

今までメデイアで「東京から引っ越して良かった」という事例が紹介されている。この大自然でのびのび子育てできること、移住者には村や町から優遇処置を受けることが出来ること、物価が安く住みやすいことなどをメリットに上げているが「仕事は」、「今は良いが将来をどう考えているのか」、「教育、病院は」、「子どもを大学を出すには2000万円程必要と言うが今の仕事を続けて確保出来るのか」など心配事はないのかと思う。

テレビ番組だから成功例を示しているのだろうが、失敗例がないのか。東京→沖縄→東京の例はないのか。

新聞で成功例をひろってみると、コワーキング、シェア-ハウス、AIで会計事務、情報技術で人手不足を補う、WEB制作、ネットで注文を受け田舎の町で家具などの工房経営、荒れた田んぼ、畑を大量に耕作請負し大規模農業などが目に止まった。

一生懸命考え起業している人には拍手を送りたい。

どの仕事も製造業あっての起業ではないのか。サービス業ばかりでは限界がないか。

東京大田区は中小企業の活躍している街で時々訪問する。リーマンショック後の不振を経験した。今は好況と言うが仕事量は増えても工賃は昔のままで低い。なかなか値上げに応じてくれない。

需要があれば借金してでも投資し内需拡大に貢献したいが、需要がないと言うのだ。一方仕事は増えて工場が狭くなってきても工場を東北などの被災地に移すことなど考えられないようだ。投資も大きいが必要な人手が見つかるか。行く行くは過疎化の進む地方だ。将来のことを考えると決心できないようだ。

大災害が発生し復興計画、予算が問題になるが、専門家は「東北は災害がなくても過疎化が進む」と巨大は復興計画、予算に異議を唱える人もいたが一理ある。

寺田寅彦博士もその随筆で指摘している。

災害が起きると痛みを感じ、高台に避難するが、そのうちに忘れ便利さを求めて海岸縁は平地に街が形成されていく。痛みを忘れたころ、又大災害が発生する。それを繰り返しているのが歴史なのだ。

自分の生きている間は再びあのような災害は起きないのだと安心しているのだ。

古文書をひっくり返して自分たちの町が今までどうのような復興を経てきたのか。調べる事も大事ではないか。



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