2019年5月3日金曜日

今日の新聞を読んで(244):国民は新天皇に何を期待するか、万機公論に決すべしだ


平成の明仁天皇が退位し、令和の徳仁天候が即位、一大イベントに国民は沸き「何か変わること」を期待しているようだが、国民は新天皇に何を期待するのか。否、何が期待できるのか。国民が主権者として広く議論を起こし天皇の象徴制をどう築いていくかだ。

メデイアが流す報道は美談に仕上げているが、こんなことしか話題がないのかと逆に驚く。その原因は現憲法が「天皇の国事行為を内閣の助言に基づく」と制限しているからなのだろうか。

新旧天皇が言う「自己研鑽に励む」「常に国民を思い、国民に寄り添う」と。

現憲法では国民は主権者、天皇は「国民の象徴」「国民統合の象徴」だ。これが天皇の公的地位であるが国政に関する行為はダメ、国事に関する行為もダメということになるとできることは災害などでの被災地への見舞い、戦没者慰労、そして国体などイベントへの出席となる。

だからテレビの特集番組もこの辺が中心になるのだ。しかし、こういった行為もすべてお膳立てできているのだ。関係者が失敗のないように計画を組む。被災者、避難者も天皇だから何も言わない。言ってもどうしようもないからだ。

ところが、当時の民主党の観総理が被災地の避難場所を慰労したときに、帰ろうとする菅首相に「もう帰るんですか」と避難者から声がかかり菅総理は一瞬立ちろいだが、そういった場面は天皇皇后にはないのだ。

格差で差をつけられた国民、政治から疎外感を感じる国民が天皇の行為に感激してしまうのか。それが「常の国民を思い、国民に寄り添う」ということなのか。

明治憲法から現憲法に改憲するとき、GHQが日本政府に草案作成を指示した。日本政府の草案は明治憲法に少し手を加えた程度で天皇制を維持することにあったようだ。これでは民主政治に程遠いと判断したGHQが独自に草案をまとめ日本側に提示した。

そこに新しい天皇制、戦争放棄がうたわれた。現憲法の第1条、第9条だ。戦争放棄は当時の幣原首相が自らマッカーサーに提言したそうだ。そして天皇制では日本の復興では天皇の存在は重要とマッカーサーが判断したと聞いたことがある。

象徴とは一体何なのか。

憲法第1条では「日本国の象徴」「国民統合の象徴」と記されているが、法律書を読むと、「日本国または日本国民の統合という「無形の抽象的存在」を有形的、具体的に表現または体言化するもの」という。

国内にあっては国民がお互いに結び合って一体となす姿を天皇に象徴し、対外的には日本国の存在を確認せしめる機能があるのだ。

ところが、今自民党が考えている憲法改正草案では天皇を「元首」としている。

これに危惧している専門家もいる。

元首とは「一国を代表する資格を持った者」のこと。確かに天皇は他国の国賓を迎え入れるなど、外国からは元首と映る面もあるが、憲法に元首と規定すると、第1条にあわせ第6条で国事行為に「内閣の進言を必要」などと定義したことに問題があるという(東京新聞2019.5。2「こちら特報部」)。

「進言という言葉は格下のものが目上の立場にある者に使う言葉だ。天皇の権威をより高めようとしているのではないかと危惧する(同上)。

自民党改憲案では天皇の権威を高め政府がそれを利用する構図を作り出そうとしているのではないか。GHQがまさに新憲法草案で嫌った点だ。

今日の朝日新聞2019.5.3の世論調査を見るとさすがに天皇制に関する設問はないが、憲法改正の機運は高まっていない。安倍内閣での評価する政策の中でも憲法改正は低く、評価しない政策では憲法改正は高い。

逆に安倍総理は9条改正に意欲を示し施行を2020年にこだわっている。4月23日の改憲派集会には「多くの国民が大いに議論し、理解を深めてほしい」とメッセージを送ったという。

又朝日新聞の世論調査では「今の国会は国民の意思を反映した議論がどの程度できていると思うか」の設問に「大いにできている」0%、「ある程度できている」13%、「あまりできていない」54%、「まったくできていない」29%だ。

憲法改正の議論と言っても今出されているのは自民党草案ぐらいだが、国会でしっかり審議し「これでどうだ」と国民に提示してから国民の議論が始まるのではないか。とてもではないがそんな状況下ではない。


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