2019年5月1日水曜日

「令和」は減災の時代:「平成」の自然災害の貴重な経験を減災に活かせ


「平成」の30年は台風、豪雨、異常気象、地震、津波、火山噴火など自然災害が多く発生、代表的なものでも約40件以上を数える。その中からどういう教訓を得、「令和」に入り減災に活用できるか。専門家はもちろんのこと私たち国民の力が試されることになる。

遠くで発生した災害ではない。何時自分に降りかかってくるか分からないのだ。

朝日新聞(2019.4.29)「災害大国」を見ると、3.11東北地方太平洋沖地震と巨大津波の被害に会い明暗を分けた2つの小学校が紹介され重要な教訓が語られている。

判断を誤り多くの犠牲者を出した大川小学校では、地震とともに全員が校庭に集められどうしようか先生方が相談していた。そのとき生徒が「早く高台へ避難しよう」と提案したが先生は取り合わず20分後に高台へ移動中に押し寄せた津波に襲われ犠牲者を出した。

一方、釜石市の小学校では先生の適切な判断と普段の防災訓練で低学年の生徒を高学年の生徒が手を引いて高台へ避難した。その映像をテレビでたびたび見ることができたが、涙が出そうになるシーンだった。

普段の防災教育と避難訓練が実を結び犠牲者を出さなかったというのだ。「てんでんこ」や歴史学者の磯田さんの書物で「周りの人を気にせず、高台へ避難する」事が大事なのだ。テレビの映像で年配の女性が一人でひたすら高台へ向かう姿を見たが、「津波が来るから高台へ上れ」との教えを守ったというのだ。

町内会の役員の方、消防団の方など情報を伝え確認のために時間が係り犠牲になったことが反省されている。役目を果たすという美談ではあるが「まず自分から逃げろ」ということなのだ。そのときは「津波が来るから○○に逃げろ」と叫ぶことが大事だという。

誰かが何をするかを指示する事が大事なのだ。

一方、幼稚園が送迎車で園児を帰宅させたことで津波に被害にあった。その判断の是非が裁判沙汰になっているらしい。気の毒なことだが、現場の責任者の判断は重要なのだ。

「てんでんこ」に経験者の貴重な経験談が伝えられている。防災教育、防災訓練に活かせば減災として一番の対策ではないか。

「平成」の30年間の災害から学ぶべきことをピックアップしてみた。

(1)雲仙普賢岳の火砕流は恐ろしい光景を見せ付けた。頂上にできたドームが崩れて猛スピードで迫る火砕流に犠牲者が出た。御嶽山噴火、新燃岳噴火ででも見られたし、浅間山などではハザードマップが整備され配布されている。万一のとき、自分の住んでいる場所、勤務している場所がどうなるか把握しておくべきだ。

(2)釧路沖地震はM7.5、鉄道や周辺道路、都市ガスなどライフラインがダメージを受け復旧に半年かかったという。

(3)三陸はるか沖地震はM7.6、激甚災害法が改正され「激甚災害」に始めて指定されるきっかけになった。三陸沖と名がつくと被害も大きいことが想定される。

(4)北海道南西沖地震はいわゆる奥尻島が全滅に近い被害を受けたM7.8の地震だ。震源地がごく近かったために大きな津波が3分ほどで襲ってきて202人が犠牲になった。これでは避難する暇にないようだが、巨大地震の後には必ず津波が来ると思っていれば3分でも高台へ避難する時間はあるのだ。

  これをきっかけに地震発生からなるべき早く津波に関する情報を発するようになった
  が課題も残した。

  あの3.11東北地方太平洋沖地震では当初3mの津波が発生すると伝えてたが実際
  には15mと修正されたが情報がうまく伝わらず被害を大きくした教訓がある。

3mの津波はたいしたことはないと住民が判断し、高台などへの非難を遅らせた。

(5)兵庫県南部地震はM7.2,6433人が犠牲になった初めての都市直下型地震だ。高速道の倒壊、切断された橋の先で観光バスが宙ぶらりんになっている光景は驚く。都市災害の典型例だ。地震の断層帯の幅、長さで被害が集中し少しでも断層を外れると被害を免れた。

これから重要な構築物は断層帯の上には作らないことになり断層帯の上はグリーンベルトなど空地になっている。

都市型災害で重要なのは震災廃棄物の処理だ。

分別収集し、埋め立て処分場、焼却炉を整備しなければならない。一つの自治体では不可能で周辺自治体が協力する必要がある。

(6)新潟中越地震は山連崩れ、地すべりで出た土砂が寡占を生めて土砂ダムを作って上流は水没したが決壊の恐れが出て排水対策が必要になった。

家屋の倒壊も多かったが建築基準法に反して木造でもアンカーボルトがなかった。

21世紀に入ってはじめてのM7規模で、余震は20回も続いた。

(7)2007年新潟中越沖地震は2004年の新潟中越地震、2007年の能登半島沖地震との震源に近かったためにその発生が予測され報道されていた。

(8)このほか2000年代には、茨城県沖地震M7.0,っ過去にも何度も発生している。岩手宮城内陸地震M7.2は有名な土砂災害、岩手県沿岸北部地震M6.8は最初は揺れが小さかったが徐々に大きくなり1分も続いた。駿河湾地震M6.5は東名高速が通行止めになった。

(9)2010年代に入ると、まずチリ地震、M8.8だが地震頻発しているが太平洋を挟んで、津波が押し寄せている。当初3mに津波予想だったが実際は0.9~1.4m、こういうことが重なると住民が油断し3.11のような被害が増大する結果になった。

(10)新燃岳噴火、霧島山中の活火山、新燃池が消滅したという。

(11)そして3.11の東北地方太平洋沖地震、津波、東電・福島第一原発だ。M9、
   後最大の自然災害になる。869年の貞観地震の再来襲だ。必ず繰り返すことを証
   明したようなものだ。

津波高さ15mは信用されなかった。東電も否定的で防潮堤の強化を怠ったために
重要電源が海水にしたり機能せず、原子炉の冷却が不能になりメルトダウンを起こ
し、今廃炉に向け作業が進んでいるが40~50年かかるらしい。

第一原発付近の地域には帰宅できず村を捨てなければならないところも出てきてい
る。

福島第一原発の失敗例が安全対策強化につながり各原発の再稼動に向け安全対策費
が急騰している。

(12)2010年代は連続する台風被害、、猛暑、豪雪が指摘できる。台風20号は
    伊豆大島で土砂災害を起こした。

(13)広島市土砂災害は私たちに教訓を与えた。水害が起きる地域というのは古い地
    名で情報があるのだ。広島での被災地は蛇落地悪谷という集落名だった。

開発業者は河川敷を埋め立てたり、住宅地を山間に広げていったがそこは災害のおきやすい場所の場合が多い。よく旧地名を地図で確認する必要がある。

(14)熊本地震は最初のM6.5は余震で2度目のM7.3が本震だった。既存の断層帯に沿って被害が大きく、神社などがペシャンコに落ちたり、熊本城が甚大な被害を被った。

    震源域は九州を横断し、四国から中央構造線断層帯につながり東に震源が動く危険もある。諏訪まで行けばフォッサマグナに当たるし下仁田を通じて太平洋に抜ける断層の存在が知られている。

(15)大阪府北部地震M6.1、首都直下地震では最大震度の6弱を記録した。高槻か茨木が震源域だったと思うが淀川埋め立てで住宅地になった地域は京都まで揺れが強かった。

他にも平成30年には北海道胆振頭部地震も発生し、今も余震が続く。札幌市内の軟弱地
盤では道路が割れたり、住居が傾いたり、水道などのインフラにも被害が出た。
     
家を建てるときは業者に頼らず自分で古地図を探し災害に関する情報を得るなど努力すべ
きだ。宅地造成などでは盛り土かどうかも確認したほうがいい。

さて「令和」時代はどうなるか。

首都直下地震は何時起きても不思議ではない。北海道千島海溝沿いの地震は切迫している
と政府の地震調査委員会が発表した。東海、東南海、南海連動地震の発生も2030年に
南海地震の可能性、南海トラフ地震は200年先という研究報告もある。

桜島、阿蘇山の噴火、富士山の噴火も危険視されている。富士山が噴火すると東京も2c
mほど積もり、呼吸器系統への障害、電子機器への障害、交通機関での障害が心配されて
いる。

南海トラフ地震の前には内陸型地震も頻発すると災害歴史は教えている。

0 件のコメント: