朝日新聞(2023.8.8)の天声人語を読み、30年前の明日8月9日設立されて細川連立政権について考えてみた。本当に政治改革ができるのかと当時考えたが、自民党を離党し立ち上げた新政党の代表幹事としての小沢一郎さんに振り回され、最後は細川さんの「政治とカネ」問題で崩壊した。
しかし、260日余りの短い政権だったが、政治改革、国民福祉税など消費税増税に取り組んだ。非自民、非共産の8党派を束ねていく連立政権の運営の難しさも明らかになった。
それまで自民党政権では55年体制の金属疲労、リクルート事件、金丸問題と自民党は国民の信を失い自民党内でも「みそぎ」が必要との考えがあったり、離党の動きもあった。
そして熊本県知事をやめ、政治改革を訴えて日本新党を細川さんが立ち上げた。細川さん曰く「バスの停留所を5m動かすにに2年もかかる」と政治手続きの不備を訴えていた。
そして、斬新な服装とマフラー姿で登場した細川さんに30年前、国民は「何か変わる」と期待したものだ。私だって驚いた。ちょうど50歳の時だ。
1993年8月9日8に非自民、非共産8党派の連立政権ができ、自民党は下野、55年体制派崩壊したのだ。
日本新党、新政党、民間、日本社会党、民社党、公明党、新党さきがけ、社民連合からなり、主要閣僚は武村官房長官、内閣総理大臣特別補佐官田中秀征さん、小沢さんは新生党の代表幹事だ。
当時の首班指名では細川さん262票、河野さん224票、不破さん15票、山花さん?だった。
自民党は当時、リクルート事件、金丸問題で揺れ、竹下派は分裂。金丸さんお側近として悪事(?)を働いた小沢さんも離党したが、ついていく議員は少なかった。武村さんが離党し新党さきがけを立ち上げたのをみて小沢さんの離党に踏み切ったようだ。
細川内閣は細川さん、武村さん、そして新生党代表幹事の小沢さんらで仕切られた。
驚いたことに内閣支持率は71%、30数%にあえぐ岸田政権とは大違いで、国民のン期待は大きかった。
公約には政治改革として小選挙区比例代表制の導入だ。二大政党でいつでも政権交代できると謳われたが、今は自民党一強、だらしない野党になった。「政治とカネ」の問題も解決せず、岸田政権でも多くの閣僚が辞任したが、本人が説明責任を果たすことはできなかった。
赤字問題解消も国民福祉税を真夜中に提案したが武村さんたちは知らず、すぐに撤回された。閣内不一致が露呈したのだ。背景には小沢さんと大蔵省の消費税増税のたくらみだったが、社会民主党が反対した。
そして、最後のとどめは東京佐川と細川さんとの「政治とカネ」の問題が明るみに出た。おそらく自民党あたりがリークしたのだろう。
嫌気のさした細川さんは政権を放り出し、連立政権は崩壊した。
寄合世帯の政権の運営は難しい。総理を支える強い見方がいないのだ。また、自民党など政敵からの不祥事暴露はいつもやられることだが、表舞台に出るのであれば身辺をきれいにしておかなければならない。そんなクリーンな政治家が今どきいるのか。
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