追分から三叉路に分かれ伊勢路で伊勢神宮へ、 東海道で京都方面へ NHK プラタモリより「伊勢神宮を目指す旅」より |
「さば街道」は若狭から京都までサバを塩漬けにして運んだとばかり思っていたが、歴史はすごい。昔は日本海側の港が世界との交易も含め繁盛していた。海外からの重要物質はここから日本中に配達されたのだ。象まで陸揚げされたのには驚く。
花折断層が動いて今までの山の中腹から平地で道路が開発され行き来が頻繁になったか。今その街道が新幹線の延長で京都まで伸ばすか、米原で我慢するかが大きな課題になっている。
そしてつい最近では「東海道57次」が放映され、大津を出て追分で京都方面への東海道53次と直接大阪を目指す東海道57次に髭茶屋で三叉路の分かれるのだ。
当時の徳川幕府が大名を京都には近づけず、大阪へ行く道としてここで分けたのだそうだ。
そして今回は「伊勢神宮への道」として桑名を出て追分で京都を目指す東海道と伊勢を目指す伊勢路に分かれているのだ。
三叉路の過度に鳥居が建てられている。そこをくぐって伊勢神宮に言ったつもりで旅人は京都、大阪に向かったというらしい。
確かに街道の三叉路にはそれなり歴史上の理由があるのだ。主要街道で三叉路がある時は「何か理由があるのでは」と問いかける必要も出てきた。
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