2016年10月6日木曜日

政治家としての石原慎太郎さん:「裕次郎の兄の慎太郎です」から「猪瀬で良いじゃないか」まで

豊洲市場問題の元凶と言われるようになって政治家としての石原慎太郎さんはどうだったのか。青島さんの出馬辞退を受けて候補者が公約を闘わせていた時、「裕次郎の兄の慎太郎です」と出馬宣言し後出しジャンケンで圧勝、4期目(?)の途中を「猪瀬で良いじゃないか」と禅譲し国政へ進出した。

石原さんは有権者、都民にとっては不真面目な政治家だった。参院議員の時だったろうか、永年勤続の表彰式(?)の時の挨拶で突然議員辞職した。有権者に国政、都政を負託されていることを微塵も考えていないいい加減な政治家だった。又そんな政治家を選んだ都民にも大きな問題があった事になる。

そして今、自分が知事時代に決めて推進した豊洲移転問題で疑惑が出てくると、当初は「自分も騙された」「東京都は伏魔殿」とまで言い責任逃れをしたが、何を思ったかヒアリング調査には協力すると言い出したが、今度は拒否する姿勢だ。84歳に年齢とは言え、大丈夫かと疑う。

1999年、「東京から日本を変える」と立候補、トップ当選、専門家らはまともなのは1期目だけとの評価だ。

石原知事の行状は共産党などが指摘していた。週の内2日しか登庁せず、公用車を私用に使って遊び歩いていると言うのだ。何か舛添さんと似ている。

続く都知事選で他の候補者が「私は毎日登庁する」と公約に掲げ、「無給で働く」とまで言った。確か亡くなった黒川記章さんだった。宮城県知事経験者の浅野さんも婦人グループの「東京は病んでいる」とか言われ、その気になって立候補したが石原さんに「東京の事は東京に」と跳ね返され落選した。今から思えば東京は病んでいたのだ。

なかなか石原さんが絡んでくると他候補者にはチャンスがないのだ。

おまけに秘書や側近を一橋大卒でしめ特別秘書、副知事に任用し側近政治をやった。浜渦さんもそうだし、ヨット部出身者が重用されたようだ。浜渦さんに到っては絶大な信頼を置いていたと思ったが石原さんが豊洲移転は「浜渦がやったこと」、「かれに聞け」と言っていたが浜渦さんはこれに反感したそうだ。今は犬猿の仲らしい。

一度は出馬を諦め元神奈川県知事の松沢さんに禅譲したが、世論調査で東国原さんに負けていることを知り、松沢さんをおろし自ら出馬した。「東京の事は東京に」と浅野さんを批判したのに何故、松沢さんだったのか不思議だ。結局どうでも良いことかもしれない。

「東京から日本を変える」と言いながら出来たのは排ガス規制、銀行などへの標準外課税(後に裁判で敗訴)位か。新銀行東京は案の定、経営不振で税金をつぎ込むこと羽目になったが十分な説明はせずに逃げ回った。尖閣諸島の都有化を宣言し広く寄金まで公募したが民主党・野田政権で国有化がきまり以来、中国と危機一髪の危険な状態が続いている。

しかし、東京マラソンは成功した1つか。

豊洲移転問題は石原都政時代に出て来た政策だ。おまけに盛り土ではなくコンクリートの箱を組み立てたらどうかと職員に提案したのも石原さんだ。石原さんの意向を忖度し不正行為に走った事は十分に考えられる。石原さんの責任は大きい。最後の報告を聞いていないなど考えられない。

都民の負託をどうとも思っていなかった石原さんにとっては、百条委で弁解し、責任をとるべきだ。



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