新聞休刊日は良いと思うが何故、テレビに電波休日がないのか。それだけの使命感を持って毎日番組を流しているのか。新聞は毎日ポストに入っているものと思っているから新聞休刊日でもポストに行き新聞が入っていないので「そうか」と気づく。新聞休刊日に合わせて新聞記者や関係者は休めるのか。
テレビはどうして休めないのか。
情報番組は新聞記事の垂れ流しだ。番組編成者の仕事は新聞社に記事の使用許可を得ることらしい。そして午後と言うとドラマや芸能人のどんちゃん騒ぎ、ゲームなどの再放送だ。放送する価値があるのか。ただの穴埋めとしか思えないが。
そして、際限なき視聴率競争だ。その犠牲になっているのが女性アナウンサー、女性キャスターだ。視聴率が落ちると彼女たちのせいになり、配置換えだ。30歳定年と言うことも言われておりフリーになり新しい職を探す。人気(?)のある女性アナウンサーは競争相手局の人気番組に参入できる。
一層のこと、テレビも休日を設定したらどうか。国民は困らないのではないか。ただ重大ニュースが飛び込んでくるとどうしても機動性ではテレビは優勢だ。映像で説得力のあるニュースを流す。
あるとき、有名な男性キャスターが休暇をとったとき重大ニュースが飛び込んできて女性サブキャスターがうまく切り抜けたという。男性にしてみれば残念だっただろう。
色々あるが、エネルギー問題が盛んに叫ばれていた時、電力の無駄削減でテレビに休日がテーマに上がったことがあるがその後どうなったかは知らない。テレビ局が全部休むのだから抜かれる心配はないだろうが。
ところで新聞休刊で思い出すのは寺田寅彦博士の随筆「一つの思考実験」だ。再び読んでみた。
博士は、毎日の不安、不幸になる要因は、かなりの部分が新聞の記事の存在が大きいというが、新聞に内容を供給している現代文明そのものの存在かもしれないというのだ。
新聞の内容の正確さに疑問を呈する人もいるだろうが、読む人は「安全係数」をかけて利用するから問題はないらしい。
問題は一日でも早く知る必要があるかと言うことだ。
今では市場関係者も世界経済、政治の動きを把握して売買するので必要だろうが当時はそれほど必要ではなかったのか。大正11年の記事だ。
そこで博士は日刊は全廃し、週刊、旬刊、月刊ではどうか。それで迷惑がかかるかの思考実験を提案しているが自分ではやっていないようだ。
考え方は「必要な知識を必要な程度に供給する」と言うことなのだ。
新聞では追及できなかったことを週刊、月刊誌が問題を掘り下げて記事にしている。政治家に関する不祥事、安倍政権の政策の問題点を掘り下げて記事にしているのは週刊誌や月刊誌ではないか。全国紙のメデイアは官邸や省庁に飼いならされて批判記事など書けないのだ。
そこでどうだろうテレビ局も定期的に休みを作ったらどうか。何か重大ニュースが起きても伝えるメデイアは他にもある。困ることはないのだ。
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