東北地方太平洋沖巨大地震、巨大津波から8年、復興?あの時何をすべきだったのか、そして古文書が教えてくれる今後は?
確かに今日は3月11日、あの3.11東北地方太平洋沖地震が発生、8年後の今、テレビの情報番組は被災地の復興の現状を伝えるが8年後にどんな意味があるのか。
政府の追悼式では安倍総理は復興は着実、さらに加速と言う。確かに海岸沿いの平坦地は区画整理されているが空き地、10mほどの防潮堤に守られ風景は変わった。新しい街づくりは高台で住宅、商店、駅、道路が整備されているが人が戻ってこないらしい。店を開いてもお客が来なければ商売にならない。
福島第一原発周辺ではいまだ帰ってこれない地域が広がる。テレビの画面を見るとイノシシが道路を走り、田んぼ、農地は草ぼうぼうだ。安全のために高齢者が巡回している。状況から判断すると帰村が許可されたとしても生活できる場所ではない。
さらに問題は放射能で汚染され除去された土がフレコンに入れられ段々にも積み上げられている。この処分地の確保が難しいようだ。県内、県外で争われている。
1150年前の貞観地震の時は住居もそんなになく簡単なものだったので被害も大したことはなかったのだろう。すぐ同じ場所で生活が始まる。そしてまた同じような被害にあう。
今回は高台移転で大きく変わろうとしているが、時代が過ぎれば痛さも忘れて「便利さ」を求めて海岸沿いに降りてくる。役所も住民の希望で開発規制を緩和する。そして1000年後に忘れたころ同じような苦しみに合う。この繰り返しではないかと寺田寅彦博士は随筆に書いている。
これを機会にチョッと考えてみよう。
2011年当時地震研究者は何を警告していたか。それを信じていればこのような被害は出なかったのか。そして古文書は今後を何を警告しているのか。
平成16年頃、産総研の研究者らは宮城県、福島県沿岸のボーリング調査をし貞観地震の津波の砂層の分布を調べた。M8.3以上、500~1000年間隔で繰り返す巨大津波のあることを知り、地震調査研究推進本部に報告、海溝型地震の長期評価に加えられた。
企業や自治体に説明しても信じてくれない。東電が福島第一原発で取った対応と同じなのだ。「まさか1000年前の地震の再来?」と言うことになった。
そして公表目前で貞観地震が襲ってきたのだ。研究者らは「早く公表していけば」と悔しかっただろう。
もう一人悔しい目に会った研究者がいる。GPS測位で地殻変動を監視している東大名誉教授の村井先生だ。特異な異常値を示したが発表は控えたそうだ。あの時、公表しておけばと悔しがった反省が、今の研究につながっていると話しておられた。
ところでこの時、来襲する巨大地震の規模、巨大津波の規模を公表して置けば今回のような被害は出なかったか。
地震考古学で古文書から宮城福島県沖でずれる範囲は200km×10km、M8、内陸の3~4mが浸水(実際は5km)、貞観地震の前後400~500年の地震で津波の痕跡があったのだ。地震調査委員会委員長は「いつ、どこを特定できず」空白域になっていたのだ。
津波の高さを地震調査委員会は15m程度と評価していた。こういう情報を公表していればどうなっていたか。地震が発生したら「高台へ逃げろ」と広報され、訓練していれば違っただろう。
テレビで気仙沼高校の例が報道されていた。津波が来る場合は近くのお寺が避難場所に指定されていたが、ここでは危ないと先生の判断でさらに高台へ避難し全員助かったという。後で分かったことは最初に避難したお寺は大きな被害にあっていたのだ。
さらに高学年の生徒が低学年の生徒の手を引いて高台へ向かっている姿をテレビで見て涙が出る思いをした。群大の片田先生の指導を平静から受けていた成果だそうだ。
地域住民も普段から「高台へ」の防災訓練を受け、実行していたら多くの人が助かっただろう。
残念だ。
そして古文書では「その後どうなったか」の記述が残っている。日本三代実録に記されているそうだ。
平安・貞観地震869年→9年後→関東巨大地震878年→9年後→南海トラフ巨大地震887年と巨大地震が続くという。貞観地震(869年)の2年後に鳥海山噴火(871年)そして7年後に関東巨大地震(878年)もある。その前の863年越中越後地震、864年富士山噴火だ。
3.11東北地方太平洋沖地震(2011年)それから9年後は2020年、来年関東巨大地震だ。東京オリンピックの年でもある。誰もそうはならないだろうと安心しているのだ。
古文書の記録通りにはいかないだろうが巨大地震、富士山噴火はパターンがあるのだ。発生間隔が狂っていることはいつ起きても不思議ではないのだ。そしてエネルギーがたまっているのだ。
震災8年を迎え防災を見なおす時だろう。
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