東電、旧経営陣3人に対する刑事、民事でのせきにんが大きく分かれていることに誰だって疑問を抱くが、先の東京高裁での旧経営陣3人に一審判決を支持し無罪の判決があったことに指定弁護士が最高裁に上告したという。
問題は旧経営陣に「予見の可能性があった」かどうかだ。知らぬ存ぜぬ、予見できなかったと言えば責任逃れできる分野だ。
当然の上告だ。でも最高裁だってどんな判決を下すかわからない。一般の国民感情とは違っているのだ。
東電でも皆が予見可能性がなかったわけではない。子会社の技術者が長期予測に基づいてシムレーションやった結果15.7mの津波が襲来し、防潮堤のかさ上げを提案したそうだが、3人の経営陣は予測自体の信頼性を疑ったのだ。
何で信頼しなかったのか。認めれば自分たちの責任で会社に責任が掛かってくることを恐れたのか。徹底して逃げる作戦なのか。
東電は、原発事業者としてリーダー格だ。他の事業者に「特に対応はしない」と伝えたそうだが、近くに立地する東北電力女川原発は対オプをしたために被害が少なく、逆に住民の避難所となったほどだ。
また、この予測を出した専門家集団はどう考えているのか。長期予測だから曖昧なコメントもついていたのだろうが、自分たちの研究に地震がなかったのか。
今、民間会社が事故を起こすと現場の担当者と管理職が責任を取り経営者は責任を回避している。
品質管理で事故を起こしても記者会見に主席するが、「しらなかった」「報告を受けていない」と責任を回避するが、事故自体には謝罪している。こういう時は経営者が出席して謝罪するのが一番良い方法と危機管理の専門家は言う。
しかし本当は経営者が責任を認め取ることだ。そういう風土がないから次から次に同じような事故が見つかる。
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