いつも「一票の格差」問題で裁判所の判決が出るたびに、何のための論争かと思う。一票の価値を論じる前にまず、投票率を挙げられないか。「一票の格差」を訴えながら、一方で投票を棄権していないか。
人口減に向け国会議員数の削減に向けた国会改革の一環か、あるいは「法の下での平等」で間接民主主義を守る難しさがある。
「アダムス方式」で人口比により議員定数を決める制度では国勢調査のたびに見直しが必要だ。当然に都市部では人口増、地方では人口減で議員数が増える都市と減る地方都市では国会に民意を伝える手段に差が生じる。
それが候補者の動向にも影響する。人口の多い都市部では選挙区も狭く、野党などが候補者を立てる機会が多い。反対に人口の少ない地方都市では有権者数合わせの区割り、選挙区も広いため野党の候補者も立候補を避けるために世襲制が蔓延り新陳代謝が遅れる。
国会改革となると国会議員それぞれの首が掛かっている。自分の存在を犠牲にしてでも改革しようとする議員がいるのか。「10増10減」の改革とは議員数は減らないのだ。
その「一票の格差」の判断を裁判所に求めている。司法は立法の問題に立ち入ることを避ける。だから、「違憲状態にある」との判断はできるが、実施された選挙は「合憲」の判断だ。
最高裁は、「2.08倍は合憲」と言い、改革では1.999倍だから合憲なのだ。私たちのくらしの中で下3桁まで表現することがあるのか。1.999倍は2倍なのだ。
そして格差論争も原告は弁護士連中だ。無理な争いで存在感を出そうとでも思っているのか。
私はまず、投票率の改善をすべきではないかと思う。東京など都市圏は投票率50%に対して鳥取など地方の都市は投票率を75%に上げたらどうか。投票率で「一票の格差」を論じてみたらどうか。
「一票の格差」を問題にしながら投票を放棄したりしていないか。
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