2015年4月21日火曜日

【憲法論議】 「積極的平和主義」とは憲法観からすると憲法9条を守ることではないのか

安倍総理の言っていることとは裏腹に「積極的平和主義」とは、憲法観からすると憲法9条を守ることではないのか。どうもそうではなく、国民の生命、財産、権益を守るために国会の承認があれば、どこにでも自衛隊を派遣することが出来ることらしい。

新聞報道によると20日のBSフジで憲法改正論について安倍総理が「民主党は私の認識が可笑しいから嫌だといっている。子供じみた議論だ。不真面目な態度といわざるを得ない」と発言したそうだ。民主党の岡田代表が「安倍政権の元では憲法改正議論をする気はない」と言ったことへの反論らしい。

確かに国の最高規範である憲法を憲法の改正手続きを踏まずに解釈改憲する安倍総理の姿勢には賛成できない。要するに憲法観の違う自民党の連中と憲法論議は出来ないと言うことなのだ。

一体、憲法とは何なんだ。

憲法は国家の根本体制を定める法規で権力の根拠と限界とを明文化したもので、変更しにくい硬性憲法であることにより基本権を保障しているのだ(憲法 Ⅰ 清宮 法律学全集 有斐閣)。

ところが自民党の憲法改正論議は安倍総理の恣意的傾向が強く、他の議員は追認しているようだ。反対しているのは長老のOB議員だけだ。それとも安倍総理の強権におびえているのか。

その自民党の憲法改正・推進本部長の船田さんが沖縄で公演した内容が報道されている。それによると、憲法前文に安倍さんが掲げる「積極的平和主義」を盛り込みたいと意欲を示したという。「憲法古着論」によるとクリーニングしてきれいにすると言うらしい。

更に、次の参議院選後に憲法改正の発議条件の2/3は厳しく、民主主義に反するので1/2に緩和しようというのだ。

まず、憲法改正の手続きの緩和を議題にのせ出来る条項から改正していくというのだ。どの条項をどう改正するかは後回しらしい。本末転倒と言われればそのとおりだ。

改めて自民党の憲法草案を見てみた。
憲法とは先にも言ったように権力の根拠と限界を明文化し、国会や権力者を縛る役割があるが、自民党の新しい憲法前文では基本的人権を尊重するのは国ではなく「日本国民」になっている。基本的人権は国民も互いに犯してはならないことであるが、国も絶対に犯してはいけないのだ。

現行憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることにないよう・・・」の記述があるが自民党草案にはない。ところが今の安倍政権の集団的自衛権、安保法制化では「段々日本人が戦争に巻き込まれていく危険が出て来た」と感じる国民が多いのではないか。

安倍政権も直ぐに新憲法制定を狙っているのではなく、改正出来る条項から改正していこうという考えだろうが、まず「憲法とは何ぞや」の議論からやって欲しい。そして憲法観を同じくして憲法改正を論ずるべきではないか。


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