2015年4月29日水曜日

日本国憲法の制定過程:「押しつけられた」憲法では面白くないのか、素人が8日間で本当に作ったのか

日本国憲法
日本国憲法はその制定過程が「押しつけられた」と言うことで面白くないのか。また憲法記念日がやってくる。年に一度は日本国憲法を考える機会にしたいものだが、今回は自民党が「憲法漫画「ほのぼの一家の憲法改正ってなあに」」という冊子を作って若い人に憲法を考えてもらうために配布するという新聞記事があったがその記事の中に現憲法は「素人が8日間で作り上げた」とコメントされていた。

現憲法はGHQによる「押しつけ憲法」と批判されている。もうこの辺で自主憲法を制定しようというのだ。

安倍総理は以前、GHQの素人が8日間で作り上げた代物と見くびったコメントを発したことがあるが、それを受けて民主党・岡田代表は「今の憲法を非常に悪くと言うか低く見ている。そういう首相の下では憲法論議は非常に危ない」と現政権下での審議を拒否する。

確かに「押しつけられた」、「外国製」と見ることも出来るだろが、だからこそ民主主義政治は確保できたとみるべきではないか。

長く経済同友会の代表幹事をやった品田さんが、終戦後抑留先から日本に帰ってくる船上で新憲法を見せられ「これで民主政治が始まる」と涙したことを新聞で述懐しておられた。戦争経験者は今の政治家とは異なった憲法観を持っているのだ。

そしていろんな方面から「押しつけ憲法」の批判が出ているのに憲法学者はどうして当時の経緯を説明しないのか。否、既に亡くなっているため説明できないのか。

そこで、その経過を学生時代に読んだ「憲法Ⅰ 清宮 法律学全集 有斐閣 昭和39年7月」を開いてみた。

第一編 第4章 第二節新憲法制定の経過に次のような記述がある。

連合国の指令により新憲法は内大臣府と政府の2方面から進展していった。内大臣府では近衛文麿と佐々木惣一が関わり天皇に内奉したというが、政府では幣原総理、松本国務大臣が憲法問題調査委員会を作り草案を作成、連合国へ報告したがマッカーサーは不適とした。別の本だったと思うがこの草案では民主主義にほど遠いと判断したようだ。

そこで連合国自ら草案を作成しマッカーサー草案として日本政府へ提示された。この草案を自民党は素人が8日間で作成したというのだ。でも私が読んだ本ではそれぞれの専門家が関わったようだ。短期間に作成出来たのはフィリッピンで憲法作成の経験があったためで日本には日本に向いた修正が加えられたと聞いたことがある。

日本政府は、この草案を修正し「憲法改正草案要綱」を作成、公表した。連合国司令官も全面支持したという。このとき各政党、民間団体、個人が各種改正草案を発表したらしい。

その後、衆議院総選挙が実施され、自由主義の政府が確立衆議院で2ヶ月、貴族院で1ヶ月半の審議を経て修正可決され、昭和22年5月3日に施行された。

ところが「押しつけられた」「外国製」という批判が高まった。昭和32年に発行の憲法書にその記載があるのだから長い憲法改正論議がされているのだ。

自民党も自主憲法制定を党是とし自民党の「日本国憲法改正草案」が公開されている。海外では数回の憲法改正がされているが我が国では一回も改正されていないのだ。

清宮先生は「憲法Ⅰ」で「押しつけられた」点はあるが、外国の力が加わったことはマイナスの面ばかりでなく、プラスの面も働いていると言い、民主主義、基本的人権尊重主義、平和主義に徹し得たのもそれに寄るところが大きかったという。

そして、この際再検討を加えるのは結構であるが、その重点は制定の経緯よりも内容に置かれるべきだと強調する。昭和32年の指摘だ。

5月3日の憲法記念日に当たり憲法を考えてみようではないか。


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