2021年7月7日水曜日

東電・旧経営陣5人の株主訴訟:「記憶にない」「知らない」が通用するか

 経営トップに対する安全確保義務で「記憶にない」「知らない」が未だ通用すると思っているのか。東電・旧経営陣5人に対する22兆円にも及ぶ支払を求める株主訴訟で当時社長だった清水被告をはじめ4人の被告の尋問があったという。

その尋問で清水被告は「記憶にない」「知らない」と発言、検討した御前会議も「会社に意思決定の場」ではなく、原発の安全性は担当部長に任せていたと、自らの責任を回避した。

そして、「設備の安全性を最優先に取り組んだが事故を防げなかった」と謝罪する一方で、「取締役としての注意義務は果たした」と言うのだ。

清水被告の考えでは「取締役会で提案されれば責任を果たせたが、御前会議での検討ではその責任はないというのか。

御前会議がどんな会議か知らないが、津波対策で関係者が一堂に集まり「津波想定の引き上げを記した資料」が配られたのは事実らしい。

今までの関連記事から、政府機関の地震予測に基づき若手技術者がシミュレーションした結果、15mの津波高さになり今の防潮堤では防げず、増強を提案したが、「15mの津波来襲に根拠」がははっきりせず、土木学会に検証依頼、対策しない内に2011年3月11日貞観地震が発生、巨大地震は防潮堤を超え、非常用電源を水浸しになり原子炉は冷却できずメルトダウンを起こした。

清水被告は「設備の安全性を最優先で取り組んできた」と言及したが御前会議でどんなに多くの資料が配布されたとしても「安全性」に関するテーマは最優先しなければならないのではなかったのか。それに気が付かなかったこと自体が経営トップとして責任に欠けるのではないか。

特に当時同じ立場にあった東北電力女川原発は、予測を信じ、対策をして重大事態には至らなかった。逆に地域住民の避難所としての役目を果たしたのだ。雲泥に差がないか。

経営者としての恥を知るべきだ。

新聞報道では、担当裁判長が「現場を見て事故の責任を判断したい」と話したというが正論だ。原発は廃炉、地域住民に多大な被害を与え、今でも汚染水が増えその処理に見通しが立っていない。

それでも経営陣に責任はないというのか。

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2021.5.28掲載

東電・株主訴訟:それでも武藤さんは当時の判断を「合理的というのか yamotojapan.blogspot.com/2021/05/blog-post_28.html




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