またまた、年賀状の季節がやってきた。郵便料金も大幅に上がったし、普段はLINEや電話で連絡しているので改めて年賀状の必要性は薄くなっている。特に年配になると仲間内での整理している人が多い。誰かが言っていたが消息を知る手段になっていると。
メデイアではある作家が、手書きでの想いを伝える「手紙文化」が消えようとしていると嘆く。同感だ。
処で世の中、「紙文化」が消える一方で、勧誘する文書の投函も多い。これも仕事を見つけるための手段だ。特定の地域での情報収集は紙がいいかもしれない。
ハイテク{?}と言えるかどうかは知らないがSNSは悪事、闇ビジネス、そして今や選挙戦に多用され実績を上げている。社会が変わってきているのだ。
一方、教育分野ではデジタル化が進んでいるが、ローテクの紙、鉛筆、ノートの見直し、推奨する研究が多くないか。賛成だ。
中学生の孫を見ると、宿題や学校行事、連絡事項は与えられたタブレットを使っているが、幸いなことにまだ教科書、ノート主流の教育だ。塾に通っているがやっぱりテキスト、ノートを重用している。
進む教育分野でのデジタル化でも不安な情報が多く出ている。いつぞや、スウェーデンではデジタル化は学力低下で紙、ノートに代わってきているという。大学の研究でもスマフホは脳の発達を阻害するという研究を発表したし、週刊誌によると日本はデジタル化に2600億円を投資しているらしい。業界を育成するためにも必お湯なのか。
紙、鉛筆を使った教育は大事だと思う。ノートに鉛筆で文字を書くことにより脳を刺激するし、漢字もきちんと覚える。今、ワープロで漢字は変換されるから「どんな格好をしているか」だけで書き込むことができる。
一高、東大を出た高齢者がきちんと丁寧に文章を書いているのを見て感動したことがある。
大学入試も択一的問題より文章で答える問題も増えている。いいことだ。
処で政治の世界でも紙が重用されている。自公国の「合意文書」が紙に印刷され、幹事長がサインしているシーンがあった。デジタル化が進む中で政治の世界は紙重用か。証拠隠滅の恐れがないし、サインするという重要な行為を尊重するためか。
0 件のコメント:
コメントを投稿