2020年8月18日火曜日

戦没者追悼式に見る:天皇、安倍総理、村山元総理のそれぞれの想い


75年目の節目に当たる今年の戦没者追悼式はコロナウィルス災禍にあって参加者も少なく制限され、しかも参加者に高齢化が進み戦争体験者も人口の約15%になったという。政界でも戦争経験者は長老となり、一線から引退が目立ち、戦後に生まれた国会議員が多く占めるようになり政治も転換点を迎えた感じだ。

安倍政権が集団的自衛権行使を容認する閣議決定した時、国会前で反対集会が行われた。私も取材しに国会へ向かった。前の広場には年配者から若者まで多くの国民が集まっていた。戦争経験者だろうか、年配の女性が石垣に腰掛け、胸には「戦争反対」のプラカードをささげていた。 

「子供を戦場に送るな」と母親らしい女性、居ても立ってもいられず北海道から駆け付けたという保育園の保母さんは「教え子を戦場に送るな」という。

そういう声が、官邸や国会にどう届いているのか。集会が激しくなると警官隊は道路と歩道にバリケードを張り、集会しにくいように対策を立てる。

今だったらSNSで反対運動を展開すると阻止できる可能性も出てきた。若者が「政治に参加する場」ができたのだ。

ところで今回の追悼式での天皇の「お言葉」、安倍総理の「式辞」そして「村山談話」の村山元首相のコメントを見てみた。 

天皇は「過去を顧み、深い反省に上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」「心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」という。政治的発言を控え誰にでもわかりやすい内容で、「深い反省」はご自分で考えられた内容なのだろう。さらに新型コロナウィルス感染拡大の苦難にも共に手を携え乗り越えようと訴えられた。

安倍総理の式辞はどうか。「歴史の教訓を深く胸に刻み」という歴史観はなくなり加害責任には言及していない。その一方で、「積極的平和主義」という言葉が盛り込まれ75年目の節目に「安倍色」が出てきたという。 

過去に引きずられるのではなく、未来志向の考え方で「国際社会の平和と安全、繁栄に積極的に寄与する」というのだろう。

でも安倍政権下での「積極的・・・」は何か胡散臭うのだ。何やら「恣意的狙いを感じるのだ。

今、日本の安全保障はイージスアショアーの計画中止に見るように米国製の巨額な兵器購入から「敵基地攻撃能力」が国家安全保障戦略の議題に上ってきた。安倍政権は北朝鮮が発射したミサイルをイージス艦などで迎撃したことがないのに、今度が発射前に敵基地を攻撃しようというのだ。使うこともできない高額な兵器をそろえても何のけん制にもならない。

その前にやってみたらどうか。尖閣諸島周辺での中国の公艦や漁船の領海侵犯、日本漁船の操業妨害に自衛艦を派遣して完全阻止してみたらどうか。日本は「何ら手を出さない」とう安心感から中国は好き勝手なことをやっている。 

革新系の総理として植民地支配を痛烈に反省、心からお詫びすると表明した村山談話を発表した村山元首相は「この国を貶めることになる」と村山談話に託した思いのコメントを公表した。

安倍総理はまれなるタカ派の政治家だ。今後も安倍総理の考えが継続されるとは考えられない。次の総理に期待だ。

 

 

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