OECDが79か国で実施した国際学習到達度調査(PISA)の結果が発表された。日本は183校の高校1年生6100人が参加、3分野ともに1位は中国、2位シンガポール、3位がマカオのアジア勢が上位を独占したが、日本は科学的応用力5位、数学的応用力6位だったが、読解力は前回の8位から15位へ大きく落ちたという。
テストはコンピューター画面上で出題、解答する方式で読解力はウェブサイト、投稿、インターネットより複数の情報や質の信憑性を問うものらしい。コンピューター画面でのテストなので紙に慣れている学生にとっては少々不利かもしれないが、国語力が落ちているのは確かだ。
科学にしろ、数学にしろ問題の読解力が不足すればいい成績は取れない。最近、文科省が大学入試の英語で民間試験を採用し読み書き話す能力をテストする案が提案されたが、「身の丈」発言もあり、受験生にとって格差が出ることもあり採用は先送りされた。英語より国語の方が重要だと思うのだが。
新聞は、理数系は上位を維持、「読解力」は急落15位(読売新聞)、デジタル設問、情報精査に課題と指摘している(朝日新聞)。ネット上で多様な文章を読み解く力、根拠を示して考えをまとめる自由記述方式に弱い。思考力、表現法に伸び悩みと評している。
コンピューターに不慣れ、SNSで長文に触れる機会が少ないことも理由に挙げられている。
私の孫も通信教育でコンピューターを使った方式を受けていた。遊び感覚で面白くやっていたが、年配の私にとっては勉強はペーパーと鉛筆という感覚があったので母親に「大丈夫か」と聞いたことがある。母親も「そうだ」と言うことでペーパー方式に変えたことがあるが、今に思えば間違っていたのか。ゲーム感覚で慣れることも大事なのだ。
事例として、朝日新聞の読解力の問題の一部が出ていたので見た。「文明崩壊」の書評で事実か意見か、2人の科学者の違憲で同意点を問うていた。この問題とは別にネット上でその情報が事実か意見かなどを判断するには他の情報をウェブや新聞などで得る必要がある。
「自分の考えを言わない」「自分の言葉で解答していない」なども指摘されているが、今テレビの情報番組では学校の教育方法が変わってきていることを紹介されている。確か麹町の中学校では宿題、期末テストなしだそうだ。それでも生徒が自主的にやっているのだそうだ。ある学校ではテストでも参考書持ち込み可能、電子辞書持ち込み可能だという。
暗記重点のテストより資料を集めて自分の言葉で解答できる人材を育成しようとしているのだろう。以前からも改革を聞いたことはあるがそう目立たなかった。
「ゆとり教育」も学力が落ちたということで廃止になった。本来は大人になるために必要な教育を受ける目的だったようだが、学校側が対応しきれていなかった。だからある教科の補習などの充てられていたようだ。「ゆとり教育」で自分たちでテーマを決め、資料を集めたり、実験をしたりして結果を報告するような教育ができなかったのか。
読書が紙派か電子書籍派か。私も悩んだことがある。ずっと前だったが量販店に行くと店員が声をかけてきたことがある。よく聞くと電子書籍の端末を販売促進しているのだ。
電子書籍ではすぐ読める、安価で入手できる、保管場所が不要で持ち運びが容易、しかも簡単にマーキングもできる。書籍の売り買いはできない。ただ慣れるまで時間がかかる。
一方、紙は書き込みができるし、読んだ後の満足感も味わえる。本棚の場所も必要だが、家には本棚は必要だ。読んだ本が並んでいるし、必要になった記事を探すことができる。一方、一度家に入ってくると出ていかないのが本なのだ。
何か、使いにくい端末だったのでやめた。ページが頭に残らないのだ。
しかし国語力の低下は嘆かわしい。
生徒の能力以下なのが政治家ではないか。安倍総理は質問者の意味がわからないのかハグラカシの答弁を続ける。「責任は私にある」と言いながら責任を取ったためしがない。自らの不祥事で官僚が書いた答弁を棒読みし、自分の考えを国民に言わない。これではロボットの方がましだ。閣僚の失言が続く。批判が起きると修正したり、発言を撤回する。それで責任を逃れるとでも思っているのか。
国会の予算委員会も学級会以下だ。騒々しいし、発言を聞いていない。多数決で皆決まると思っているから自民党はごり押しをする。
英語も読み、書き、聞くが大事だが国語力がなければ数学も理科も英語もダメだ。日本語は基本だからしっかり身に付けてほしい。
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