2018年8月31日金曜日

防災を考える:災害は天災か、それともほとんどが人災か


防災を考えるとき、いつも災害は天災か人災かと考える。防災の日を前にするとメデイアは特集を組む。広島の山崩れ、土砂災害は山側へ延びる宅地開発、都市開発の問題、西日本で繰り返す豪雨災害、河川氾濫は異常な気圧配置に起因する。

そして熊本地震、予測はされていた3.11東北地方太平洋沖地震それに伴う巨大津波、さらにあってはならない福島第一原発事故は巨大技術の安全軽視の結果だ。

九州地方では阿蘇、桜島をはじめ火山噴火が活発だ。島民避難も繰り返されている。

異常気象、豪雨による東京、大阪など首都浸水は地下鉄網を通じ広範囲に首都の機能障害を起こす。

巨大地震としては4連動の危険もある南海トラス巨大地震、その前に首都直下地震、これらと関連し時間差はあるが必ず発生する富士山大噴火は東京をはじめ首都圏に飛灰が襲ってくる。富士山が噴火を始めると2~3時間で火山灰が東京に飛んでくる。

しかし、これらの災害は過去に大きな被害を残し、防災に関して貴重な教訓を残しているが、それを生かすも殺すも私たち国民なのだ。

災害は天災か人災か。専門家の間では「ほとんどが人災」という。寺田寅彦博士が言ったかどうかは不明だが、「天災は忘れたるころやってくる」はあまりにも有名だ。しかし、今は「油断した頃やってくる」だ。

なかなか予知ができない。巨大地震も起きることはわかっているが「何時、どこで、規模は」まではわからない。だから「今後30年間でM7クラスの発生確率が80%」ということになる。発生確率が7%でもすでに発生しているのだから「いつ発生してもおかしくない」状況の中で暮らしているのだ。

恐らく、多くの国民は「今日は大丈夫だろう」と願って仕事にレジャーに精を出しているのだ。それが時々発生するから帰宅困難などの社会現象を起こす。
今は災害の研究、古文書などの地震考古学の研究の進展でいろんな過去の災害例が明らかになり、予期せぬ天災の類ではなくなってきた。

それでも災害が発生すると土砂崩れ、河川への土石流、流出家屋、倒壊家屋の映像を見るにつけ出来事の重大さを認識する。

関係者のコメントも重要だ。

被災者は、「70~80年ここに住んでいるがこんなことは初めてだ」という。「この前も同じことが起き今度もまた・・」「生活の再建も大変だ」と。中には緊急災害放送も雨の音で聞こえなかった。ハザードマップは「見たこともない」という人もいるが、「知っていたがこれほどまでとは・・」という人もいた。ハザードマップの情報が現実的でないのだろう。

「見直す」という自治体も出てきた。

被害を逃れた人は、「祖父の代から警告されていた」、「近くに碑も立っている
」、「親から言われていたことを守っただけ」、「とにかく逃げることだ」と。

しかし、本当に過去にも発生記録のない災害もあるのだが、わからないだけだ。

どうしてこんなところに地震が発生したのかと思う地震もあるが内陸直下型地震ではただ活断層が見えていないだけだ。関東平野は地下構造がわからないので注意が必要だ。

そして、風光明媚な山間観光地は火山や地震活動でできた地形だ。日本中いたるところが観光地として開発されレジャー客が集まる。危険だと思っては楽しくない。

ところが、災害の発生には必ず(?)前兆があるという。その前兆を災害教育に生かすのだ。

地鳴り:どういう音か経験していないのでわからないが、経験者はそういう。異常出水で地滑りが起きるとこはゴロゴロという音が聞こえるらしい。

海鳴り:これも貴重な前兆だ。聞こえたという人もいれば聞こえなかったという人もいるので個人差が大きいのだろう。

異臭:地滑りの前にガスの臭いるらしい。多くの人が指摘している。

出水:地滑りの前に、普段は水が流れていないところで水が流れている。濁り水も指摘されている。小さな石もゴロゴロ転がる場合もあるらしい。

井戸水の水位:この前兆は多くの人が指摘している。東京にも井戸を持っている家庭が多く、「非常時はご利用ください」と門に表示されている。利用する価値はあると思うがいつも使っていないと異常がわからない。

以前に京都大防災研究所が常時観測所の観測井の水位に異常が見つかり、近いうちに必ず地震が発生すると考え学会やHPでデータの公開と警戒を訴えたことがあるが、そのうちにHPからデータが消えた。今も地震は発生していない。確か京都と大津の間の山の観測井だと思った。交通量も多いところで万一発生すれば社会生活に大きく影響するということで公開に踏み切ったと思う。

今回は外れたが、勇気ある決断だと思う。

ハザードマップの確認:自治体で配っているが見てる人と見ない人もいる。ただ注意するのは範囲に含まれていないから安心というわけではない。河川の近くに住んでいる人は海抜などを考慮し必ず浸水の危険があることを頭に置いておくべきだ。

堤防、ため池の下に住む:決壊の危険を考えるべきだ。何回も揺れ亀裂が大きくなると決壊する危険がある。大事なことはそんなところに近づかないかないことだ。

記念碑:その近辺の過去の災害に対して警告する碑が立っているらしい。道路脇とかお寺の境内などに注目だ。高齢者の言い伝えも貴重な警告になる。

地名:今、旧地名が消え、新しい住所、番地表示が流行っているが、過去の災害などから取った地名をなくしてしまうことは災害防止では愚の骨頂だ。よく災害が起きた後、「あの地域は塩入田」と言って海水に浸水したことがあると解説する年配者がいる。

防災の日に当たって何かの時の避難場所を確認しておくのも大切なことだが、避難場所への行程はわかるが、私の場合、避難場所は多摩川河川敷なのだが、広大な河川敷で自治会、または町内会の名称が掲げられている場所に集合することになっているが、その場所がわからないのだ。ほかの自治会の役員も同じ不満を言う。

河川敷に集まったが、自分の集まる場所を探して右往左往するのか。

また、万一の時に「我が家は大丈夫」というメッセージを近くの人に伝えるためにドアーのノブに「タイルをかける運動」をやっているが、なかなか徹底できていない。地域の防災活動での結果を見て担当者はがっかりしていた。

そして超高層ビルの長周期振動による揺れはたいへんだ。5m幅で揺れるという。生きた気はしないだろう。設計者は安全だと言うが何回も揺れるとビルの駆体に影響が出てくる。

そんな時、新聞広告で「天災から日本史を読み直す」・・先人に学ぶ防災(磯田道史 中公新書)を知り購入一気の読んでみた。資料に残された「災害」の記録から「もう一つの日本史が見えてくるという。

その中で興味があったのは1586年の天正地震だ。震度5強程度の揺れだったようだが、長浜城がつぶれた。このとき徳川家康は2か月後の豊臣秀吉の大軍の総攻撃を受けることになっていた。戦争準備、応援も確保していた秀吉だったがこの地震で一斉を放棄し、家康討伐の準備を投げ出して大阪に逃げ帰ったという。秀吉の前線基地は長浜城を含め全部ダメになったが、家康の方は被害を受けなかったという。

秀吉が制圧していればより中央集権的国家になっていただろうと磯田先生は指摘する。

さらにこの天正地震で若狭湾を襲ったのが津波だという。数日間揺れ動いた後で大波が押し寄せ塩水の泡が立ったという。この若狭湾は今、原発銀座ともいわれ周辺住民は再稼働に反対している。国、電力会社は安全というが、その判断は資料に基づき住民がすることであると磯田先生は指摘する。

秀吉はほとんど戦わず逃げ帰ったが天正地震は日本地震史上最も悲惨な被害をもたらしたが、この地震と後に続く伏見地震(1596年)が豊臣政権の崩壊の始まりになった。諸国大名は疲弊し朝鮮出兵に不満を持っていたが、再度の攻め込み、伏見城再建のかじ取りがまずかったのだ。

2つの巨大な地震が豊臣政権を潰すきっかけになったのだ。歴史も見方を変えると確かに面白い。

歴史は繰り返す。日本の災害研究には古文書の解読が欠かせない。そして先人たちの教訓を大事に生かすことが防災の基本になる。


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