2018年8月2日木曜日

諫早湾排水門開閉訴訟:公共事業は「やってしまったら後の祭り」なのだ


諫早湾排水門開閉訴訟を見ていると、自然を技術で制御しようとする公共事業は「やってしまったら後の祭り」であることの証だ。公共事業は以前の事業計画を見直すこともなく、時代後れの計画になっている事も省みず実施するケースが多く、「やってしまったら後の祭り」で不合理な点が出て来てもどうしようもない。

似たような公共事業が「八ッ場ダム」建設工事だ。何十年も前の水需要からの必要性を謳って強行してしまった。長野原温泉地を含む地域は当初は「建設反対」の大運動、民主党政権になって「コンクリートから人へ」への政策変更で八ッ場ダムも凍結事業になった。今度は「八ッ場ダム凍結反対」運動でまたまた大混乱したが紆余曲折はあったが本体工事も始まり水没地域の住民は新しい土地に移転した。JR長野原駅も移転地域に新設された。

私もこの辺を何回か現地ルポし市民メデイアに投稿した。この建設地域は急斜面で地盤も悪くダムに水を貯めるようになると地滑りの危険があるのだ。現場を見れば至る所に砂防ダムが建設されている。果たしてどういう災害が発生するか注目しなければならない。

ところで、諫早湾の干拓事業に伴う排水門の開閉の裁判を見ると読めば読むほど複雑で分かりにくい。

2010年の福岡高裁は「開門を命じる」確定判決をやったという。このときは民主党政権で菅総理だった。国が上告するかどうかで揉めたとき、菅さんは市民運動家出身らしく上告を断念し「排水門の開門」を選んだが、当時の農水相は最高裁に上告し和解の道を模索したようだ。当時最高裁の判断を仰いでいたらこうも揉めなかっただろう。

そして今、同じ福岡高裁が「開門命令」を無効にする判断を示した。当時で漁業権は消滅しているので漁業者の請求権はないいと断じたため、漁業者は上告するらしい。

下級審では訴えた者の意向に沿う判断が多く、上級審に行くほど国の政策に準じた判断が示される傾向にあるが、今回の訴訟では何回も和解勧告がされたが漁業者の反対も有り和解は出来なかった。
そもそもこの諫早湾干拓事業、排水門設置事業は何だったのか。

私の記憶では、農業の自給率を上げるために干拓し農地を拡大する内容だったと思うが、これも昔の事業計画のまま現状を見直しもせずに実施されたと思う。いつもの公共事業の欠点が出ていた。それと防災を兼ねた調整池を作る計画だったように思う。

このときも専門家は今の時代に合っていないと反対する人も多かったと思う。

でも19892533億円かけて着工、2008年に完成した。ギロチンカッターが次々に落とされていく光景は大丈夫かと不安になったものだ。

案の定、湾内の潮の流れが変わったために漁業不振が目立ちだし、漁業者が「排水門を開門して原因調査」を要求しだした。開門で湾内の潮の流れが変わり漁業が復活するかどうかなのだ。

ところが干拓農家は塩害が発生し農業がダメになると開門に反対だ。確かに塩害が発生すればその修復は困難だろう。土壌の総入れ替えになるのか。

事業計画で農業、漁業をどう評価していたかだ。漁業に影響が出れば補償金で支援する事になっていたのか。しかしこれも諫早湾近くの漁業者には役だっても遠くの漁業者にはどうなっているのか。大体、公共事業での補償は近くの人間は賛成するが遠くの人間は補償もないので反対するケースが多い。

それぞれの立場で利害が反する場合もあり公共事業は難しい。技術で自然を制御する公共事業は「やってしまったら後の祭り」なのだ。計画段階でしっかり検討することが必要だ。

特に官僚には一度決まった事業計画は見直しすることなく実行に移す悪い習慣がある。





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