2022年6月19日日曜日

日テレ19日「遠くへ行きたい」:70年前に住んだことのある高梁市吹屋ではないか

懐かしいボンネットバスで吹屋の家並みを行く
19日 日テレ 遠くへ行きたい

テレビを見るのも「ボケッ」としていてはいけない。しっかり番組を確認すべきだ。そんな気がした19日の日テレの「遠くへ行きたい」だった。原日出子さんが岡山県高梁市を旅して吹屋を訪れているのだ。 

私が見たのは後半部分だった。弁柄色の家並みの狭い道路を懐かしいボンネットバスで移動するシーンからだった。 

木造最古の吹屋小学校

何を言おう、70年前に私も2年ほど当時の吹屋町中野に住んでいた。吹屋町は、吹屋、中野、坂本の3地域からなる。吹屋には小学校と中学校があったが小学校は木造最古の小学校で今は記念館(?)として保存されている。

雨天体操場が有名だ

特徴は一階に広い講堂のようなものがあり、雨天運動場だった。父親が教頭していたので宿直のときは泊まりいって走り回ったことがある。

ベンガラの街らしくベンガラで染めた製品が並ぶ
 

吹屋は弁柄の町だ。原さんも弁柄染めを経験していた。映像ではうかがえなかったのだが笹畝鉱山という銅山で掘り起こした捨石(硫化鉄鉱)をベンガラにして昭和30年代まで商品化していたらしい。鉱山は昭和40年に閉山下と言う。 

中野にベンガラで儲けた広兼邸がある。背後に山を抱えたお城のようなつくりで中には籠など当時を偲ばせる品々が残っていたことを思い出す。 

今は数軒しかないが、当時は1000~2000人住んでいたという。遊郭もあり昼間は仕事、夜は女遊びに明け暮れていたらしい。ベンガラに製品化するにいろんな工程があり、環境も厳しかったという。

私にとっては貴重な思い出の場所だ。 

高梁を訪ねたということで日テレの番組紹介を見てきた。高梁の臥牛山にある「備中松山城」も有名で今でも当時もままの天守閣が残っている。伯備線の汽車の窓から山の木の切れ間から「チラッ」と天守閣が見えることで有名だった。 

懐かしいい思い出に触れることが出来た。日テレさんありがとう。

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2011.9.3掲載

来春廃校になるの本最古の木造校舎 吹屋小学校の思い出 yamotojapan.blogspot.com/2011/09/blog-post_8293.html

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