2022年1月16日日曜日

大学入試共通テストを考える:縮小し、災害や事件で受験生に心労を与えてはいけない

 

15日から大学入試共通テストが始まったが、津波災害やあってはならない事件も発生したが受験生の心労になることは避けたい。何のための制度なのか。少子化で人口減少の状況下では「縮小すべき」ではないのか。 

何のための制度か。一定の学力を身につけているかどうかのテストと言うが、有名大学で受験生が多い所では「すそ切り」に使われている。入試を作る能力のない大学では役立っているか。 

一方で、競争を煽っていないか。利権者になる文科省と学習塾のためだけになっていないか。教科書の範囲を逸脱した受験準備になっていないか。又、地方で塾に通えない受験生、親の資力に大きく影響する塾での勉強は問題ないのか。 

「落とす」「格付け」だけでは受験生の能力は伸ばせない。 

今後どんな人材が必要か。試験は苦手でも発想が豊富、地方の大学でも社会のためになる研究も必要だ。

私たちの時代は大学がそれぞれ必要な能力を確保できているかどうか、独自のテストを実施していた。日本のノーベル賞受賞者を見ると共通一次試験制度以前の教育だ。

共通入試制度は縮小すべきだ。今後災害や事件が増えるだろう。その都度受験生を惑わせる動きがあってはならない。 

各大学は独自にテストをすべきだ。試験問題を作成する能力のない大学は大学としての価値がない。そういう大学は淘汰されるべきだ。安易な設立の大学は存在価値がない。 

逆にコロナ禍で分かったことだが、災害時でのエッセンシャルワーカー、例えばインフラ整備、配管、電気工事などに携わる人材がプライドを持てる教育が必要と言う専門家もいる。専門学校教育も力を入れるべきだ。 

そうしないと、災害が増える今後、社会機能を維持していくことが難しくなる。

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