2018年12月17日月曜日

「災」:古の天皇は自然災害を「責めは予一人にある」と、今の為政者はどう考えるか


朝日新聞 2018.12.13
 
今年は地震、火山噴火、連続した巨大台風、豪雨など多くの災害が発生した。古の為政者である天皇は、災害の発生に際して「責は予一人にある」と悪いことが起きれば自分の政治が悪かったと反省し、善政に努めたのだ。翻って今の為政者はどうか。安倍政権を考えてみないか。

2018年の「今年の漢字」に「災」が選ばれた。19万3214票中2万858票と言う(朝日新聞2018.12.13)。今年は多くの災害が発生した。自然災害と言うよりも人災面が大きく影響し被害を拡大させた傾向も見受けられる。中には厳しい見方もあり財務省の文書改ざんも災いという。

「災」は悪いことばかりではない。「災転じて福となる」ということわざがある。「悪いことに出会ってもそれをきっかけに努力してうまくいくようにする」と言う意味だ。

古の為政者である天皇は疫病がはやれば「疫病の神」を、地震が起きれば「地震神」が暴れることを恐れ拡大防止に祈願したという。

800年代の後半、清和天皇の時代に陸奥海溝地震、津波(3.11東北地方太平洋沖地震の前例)、阿蘇山噴火、京都群発地震が発生、疫病もはやったためにそれを鎮めるために祇園会を開創したが、大極殿も炎上するなど災害が頻発、自らも熱病を頻発し皇太子に位を譲って退位したという。(「歴史の中の大地動乱」 保立道久 岩波新書2012.8)。

これが八坂神社の歴史なのだ。当初は流行った疫病が広がらないように祈願する目的だったが、多発する地震の関係していたのだ。

今は、地震災害、火山噴火、豚コレラ、インフルエンザの原因がわかっているので神社を建立しお祓いすることなどしないが、為政者として何をすべきかわかっているのだろうか。

大災害が社会の危機をもたらしその中で国家の正当性が問われることはいつの時代起きること。その危急の機会にこそ為政者の側の自己責任が問われなければならない(同上)。
こういった古の天皇の考え方は天譴思想と言うらしい。自然の運行と人の善悪は特定の関係を持っている。天は王の不徳を譴責するために天変地異を起こすという神秘思想のようだ。

今の天皇皇后も早い機会に被災地を訪れ被災者を励ましておられる姿を見るにつけ、この天譴思想をお持ちなのだろうと感服する。

ところで今の政治はどうか。

災害が頻発し、巨大化することはわかっている。その対策に公共投資を必要とするが赤字財政では財政再建とのバランスが必要になる。総理が被災地を視察すると必ず早期の復興を約束し被災者に寄り添う姿勢を示すが大方はパフォーマンスだろう。

地域格差、地方の疲弊は隠すことのできない現実であり地域社会の復興は容易ではない。また国民の防災意識も大きく関係する。中央防災会議は起きるであろう南海トラフ巨大地震、津波による災害での緊急地震情報発令時の住民避難の指針を作成し、公表した。

1週間の避難生活をどう考えるか。みんながしっかり議論し地域の特徴を生かした被害極小化の行動をしなければならない。

時の政権も発生した災害は「予一人の責任」、「責めは自分ひとり」と考えている人はいないだろう。

この「災」と言う漢字がトップだったということは国民一人一人がしっかり認識すべきではないか。

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