2019年7月31日水曜日

福島第一原発旧オフサイトセンター解体へ:どうして原子力事故の教訓が生かされないのか


どうして原子力事故の教訓が生かされないのか。福島第一原発事故の際に緊急事態応急対策拠点となった旧オフサイトセンターが解体されるという。このセンターは「原子力事故想定が甘かった」結果を示す重要な施設だったが、立地している場所は「特殊復興再生拠点」となっており22年春には「避難指示解除」が予定され、この後、住宅地が開発されるという。

「原子力事故の記録を後世に残すため保存する」か、「事故後の新しい地域開発を優先する」かだ。この旧オフサイトセンターは行政的にも、安全対策面でも大きな問題を抱えた施設なのだ。

オフサイトセンター構想は、1999年東海村JCO工場の臨界爆発事故放射能を拡散した経験から事故時の前線基地として全国23か所に設置されたという。福島第一原発も5~30キロ圏へ移設されたが、趣旨が生かされていなかったようだ。

20113月の事故後、福島第一原発から5km離れたオフサイトセンターで150人が集結し事故対策に当たっていた。

ところが、この旧オフサイトセンターは停電や通信機能不通で役に立たず、おまけに気密性も不十分で避難指示基準の50倍の濃度だったために全員、より安全な場所に撤収したというが、近くの病院の入院患者などは置いてけぼりにしたらしい。

この旧オフサイトセンターには東電や政府の対応のまずさがあったらしい。

2年前の2009年に、総務省がオフサイトセンターを行政監査した時、換気設備に高性能フィルターがなかったこと、出入り口の気密性がなかったことで経産省に対策を支持したが、対応していなかったという。

東電、行政ともに「原子力事故の想定があまかった」結果、このような甚大な被害になったともいえる。

さらには、この時期、東電は機器の検査漏れ、2002年には原発トラブル隠しが多発し違反を繰り返す体質が東電にはあったし、保安院も改める気はなかったようだ。

政府の事故調査委員長だった「失敗学」の畑村先生は「予算はあったが保安院が無視した」と言う。

政府の研究機関から巨大地震、津波の発生(15m)が予測され、そのニュースを知っておきながら東電は経営陣の「信憑性に欠ける」と言う理由で若手研究者らの試算結果を無視した。その是非は旧経営陣3人に対する安全注意義務違反で公判中である。

東電は、原子力事故の想定に対してあらゆる面で完全に考えが甘かった。安全第一より、経営第一を優先させていた。東電は原子力事業では保安院などを凌ぐ強大な権限、知識を持っていたようだ。だから他の事業者は「右に倣え」だったのだ。

旧オフサイトセンターは解体されるが、重要な資料などは展示施設で保管するらしい。でも事故直後の対応でホワイトボードに書きなぐった情報は消えてゆくだろう。吉田所長(当時)が「本部 本部 今爆発が起きたようです」という緊迫した会話も消えていくのだ。

福島第一原発は今後40~50年にかけて廃炉作業、さらに福島第二原発も廃炉になるらしい。廃炉作業中は、こういった事故記録も顧みられるだろうが、廃炉も終わった後では、展示施設も資料も消えていくのではないか。だれも東電の悪い事例など参考にしようとは思わないだろう。

原発事故ではなんといってもお亡くなりになった理論物理学者の武谷三男先生の大予言が思い出される。「科学大予言 武谷三男著 光文社 昭和58年」だ。

それによると、高度経済成長時代が終わり「科学・技術の堕落」が心配だという。コンピューター設計で巨大化し、スケールアップで経済成長を支えたが、巨大技術には欠陥がある。安全を無視し、事故の可能性が増大するのだ。その典型が原子力発電だという。

「安全第一」ではなく、「経済第一」なのだ。

今、安倍政権は原発再稼働に進んでいるが、これも日本経済、事業者である電力会社の経済、経営第一なのだ。ところが最近経済団体が「原発再稼働の見直し」を提言した。何か新しい動きになるか。

先生は大事なことを指摘している。日本の原発はアメリカのモルモットだという。我が国に最初に導入された福島第一原発はアメリカ式の設計で、地震の多い、日本には適していない。アメリカのものをそのまま持ってくるのではなく、日本にあった設計にし直すべきだったが政府が「早くしろ」と札束でほっぺを叩いた。「カネが降りるんなら」と学者、事業者は飛びついた。1954年のビキニ水爆を受け、中曽根さんが2.4億円の予算を付けてことから始まったのだ。

もっと時間をかけて日本にあった設計にすべきだったという。

さらに大事なことは「原子力平和利用三原則」だ。「公開」「民主」「自由」が欠けているという。すべてにわたって政府、事業者の手のうちだ。特に情報公開は巨大技術にはかかせない。


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