2021年1月18日月曜日

今日の新聞を読んで(428);過疎地の震災復興に「震災前の復興計画」策定?

 

あの巨大な地震、押し寄せる津波で破壊された構築物を戻る波で海に流し去った東北地方太平洋域地震から10年、テレビの画像で見せ付けた町中が火災に覆われた阪神・淡路大震災から26年、何時も問題になるのは復興計画の妥当性だ。 

政府は被災者に寄り添う姿勢を示すために巨額な復興予算を付け、被災地は「あれやこれや」の復興計画を立てる。 

しかし、2つの被災地の大きな違いは「過疎化」だ。

東北地方太平洋沖地震、津波による被災地は「過疎化が進む」地域なのだ。震災直後の復興を議論する場で、識者の一人が「被災地は過疎化が進む地域、復興計画には考慮を」と身の丈を超えた復興計画に警告を発していたのを覚えている。 

しかし、実情は違った。住む家を失った人のために住宅確保、再度の被害を回避するために高台の開発、移転、新市街地計画、防潮堤の建設と要望が多く、政府もこれらの要望に予算をつけることで被災者に寄り添う姿勢を示した。 

当時の民主党の菅総理が体育館に避難していた被災者を見舞ったとき、かえろうとする菅総理に「もう帰るんですか」と声を掛け、戻る総理の姿があった。被災者は「もっと要望を聞いてくれ」というのだが、全員の要望を聞いていたらきりがないのだ。 

当時の菅総理には福島第一原発事故への対応もあった。ここは一致団結して対応が必要と思った菅総理が自民党に対して「副総理格で復興担当」で自民党総裁の閣僚へ加わることを提案したが、当時の自民党は「民主党政権に力を貸すことはない」と拒否したそうだ。了見の狭い野党自民党だったのだ。 

それが自民党が政権を取り戻すと、安倍総理は事あるごとに被災地を訪問、復興状況を視察、被災者をねぎらった。「東京オリンピックで復興を世界に」と意気込んだ。 

しかし、中央政界と地方では考えの違いがあったのだ。 

10mの防潮堤の高さは高すぎる。海が見えないことが不安と違和感を示した。高台への市街地移転、住宅団地確保は箱物が多いが、完成しても人が戻ってこない。これじゃ商売にもならないという。復興計画に時間がかかると被災者は周辺の町、県外に生活を求め移転したのだ。完成しても戻ってこないのだ。 

地場産業の復興も遅れる。工場を新設して物を作っても売るルートがなくなっているのだ。

交通システムの確保も難しい。残ったのは若者ではなく、高齢者だ。スーパーが出来ても買物にもいけない。 

これらのシステムを維持管理する費用はどうなるのか。復興予算が付いていたときは使い切れない状況もあっただろうが、震災前の予算に戻ると維持管理が重荷になる。

身の丈にあった復興が第一なのだ。 

新聞では震災前に「震災後の復興計画」を立てておくことを提案している。正論だろう。そして人の動きをどう読むかだ。今以上に過疎にならないために、仮設住宅計画、何年以内に宅地造成、分譲、市街地計画、街を結ぶ交通インフラなど街の復興マップを作成することだろう。

若者層は町を去り、高齢者だけが残る過疎化をどう回避するかだろう。 

一層のこと、被災地をそのまま復興させる方法はどうか。次に巨大な地震、津波が襲ってくるのは数10年、数100年先だ。被災地にそのまま復興する計画が一番理解され、安価な復興計画ではないか。 

それじゃ行政は何をやっているのかと批判されるだろう。そのためにも「震災前復興計画」で住民のコンセンサスを構築しておくべきだ。 

今すぐ発生するか、否200年先か。発生時期が定まらない南海トラフ巨大地震、巨大津波への対応も復興計画は難しい。予想被災地はご他聞にもれず過疎地が多い。 

過疎地だからこそ対策が遅れ被害が甚大になるのだろう。四国のある町は34mの津波が襲うと町中が波に覆われる。高台に避難し命だけは守ることこそ大事なのだ。

 

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