2021年3月13日土曜日

徒然なるままに(1):「新しい技術」は「人間力」の退化につながらないか

 

今、開発されている技術が人間が生きていくに必要な「安全」「判断能力」などに関する「人間力」の退化につながらないか。もちろん介護施設での作業の支援、人間に代わって厳しい作業環境で代わりに働くロボットの必要性はわかるが、本来なら人間が持つべき知識、能力まで技術にかえる必要があるのか。 

行き過ぎは「人間力」の退化で緊急事態の対応に支障をきたす結果にならないか。特に今後はいろんな災害は複合して発生する「複合災害」に対応できない恐れがある。 

どの技術がポストコロナあるいはウィズコロナでどう役立つのか、過疎化も進み、人と人とのコミュニケーションは少なくなり、人口減少で働き手が少なくなり、高齢者が増える。 

社会が成り立つのは人と人とのコミュニケーション、機械と人との接触、ポストコロナでも大事なことだ。対面でのコミュニケーションが一般生活の基本でもある。会話もない生活が出来るのか。 

数週間、1ヶ月の緊急事態宣言期間での外出自粛、時短営業、イベント制限でも不満タラタラ、ストレスのたまる生活で、解除しようものならドッと人出が増える。 

高齢者は感染を防ぐために外出をためらっていると認知症が増え、介護、医療が必要になり財政危機だ。都知事はホームステイを要望するが天気のいい日は外に出て日光を浴び散歩することだ。知り合いと会い話をすることも必要だ。 

そんなときに非接触技術、公道を走る自動ロボット、車の自動運転、ドローンを使った運搬、AIを利用した事務、人間の手を省いた省力化など目を見張る技術開発がある。 

車の自動運転、専用レーンを利用した大型トラックの自動運転、目を見張る実験も実施されているが公道などでのインフラ整備、その維持はどうなるのか。 

車は電気自動車。行き先をセットすれば目的地まで制限速度を守り走行、自動で安全確保が出来るので寝ていても良い。目的地では駐車場に停車する。燃料は電気だから充電設備に行き非接触での高速充電が出来る。終われば帰宅をセットすればいい。 

そんな状態であれば何故、車でなければならないのか。今の電車で良いのではないか。しかも全車が自動運転できれば良いが、そうでない車との混成であれば安全はどう確保出来るのか。

更に事故を起こしたときは誰の責任か。車の所有者か、メーカーか。 

万一緊急事態発生で停電にでもなったらどうするのか。燃料は電気だから充電されている。道路情報が得られなくなると手動で運転できるか。運転するからこそ運転者としての責任、プライドがあるのだが、自動運転になると責任も薄弱にならないか。 

やっぱり車はガソリン車だろうがEVだろうが、安全運転のための支援システムは組み込んでも人間が運転することが大事ではないか。 

これからは「複合災害」の時代だ。緊急事態発生時の情報はAIなどでアドバイスを得ることが出来るが、最後の判断は人間が下すはずだ。停電になるとどうしようもない。人間同士のコミュニケーションが大事になる。 

技術も万能ではないし、技術に頼れるところと人間がしなければならないことをしっかり確認して技術開発、教育をすべきではないか。 

決して人間が生活するに必要な「人間力」を退化させるやり方には反対だ。 

そんなときにこんな情報が気になった。緊急事態発生で防災放送があるが、雨の音、風の音、戸を閉め切っていれば何を伝えようとしているかはっきりしない。でも地元消防団の打ち鳴らす昔ながらの半鐘の音で「これは大変なんだ」という緊急事態を知ることが出来たという。 

昔ながらの技術の方が役に立つのだ。 

日本も人口減少、高齢化、多くの地域で過疎化が進む。特に被災でもすると元には戻らないのだ。 

今、人口は1億2000万人、将来は7000万人になると予測されている。江戸時代に人口が3000万人だったらしいが、100年前が6000万人だ。

100年前と比べると技術は大きく進歩しているが、本当に必要な技術は何なのか。

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