第五福竜丸 展示場にて |
67年前、ビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした第五福竜丸の乗組員で当時20歳だった大石さんが亡くなったという。私も保存されている第五福竜丸を見るために2回、夢の島の第五福竜丸展示館を訪問した(うち1回は孫を連れて)。
展示館の真ん中にドカッと展示されている木造船で、当初はカツオ漁船として建造されたが、のちにマグロはえ縄漁船改造された。ゴミの島かどこかに保存(放置)されていたのを見た高校生が朝日新聞に投書したことから保存運動が始まったという。
第五福竜丸の航海日誌から 被ばく海域 展示場資料より |
館内に展示されている資料から、当時の第五福竜丸の行動が読めるが不運続きだったようだ。航海日誌から1954年1月22日に焼津港を出港したが翌日エンジン部品がないのに気づき、取りに引き返した後、「南に行く」と南下、しかし2月9~12日にはえ縄の大半を失ったことから3日間、周辺を探す。17日にさらに南下、3月1日にビキニ環礁で米国の警戒区域から30km離れた海域で被ばく、アメリカの哨戒機を気にしながら日本へ急ぎ、14日に寄港したという。
当時の第五福竜丸の漁獲は165匹(2700貫)と言う。
しかし当時マグロはほとんど汚染され、その量は457トン、築地のどこかに埋葬されたらしいが場所の確認ができないという。「マグロ塚」の石碑も制作されたが展示館の端に仮設置されている。
もし埋設したマグロが見つかれば汚染状況のその後もわかるが残念ながら無理か。
通信長の久保山さんが「私を最後に」と言い残し亡くなられた。今もその時の状況を覚えている。新聞に大々的に報道された。
死の灰 展示場にて |
展示場には死の灰がサンプル瓶に入れ展示され、分析値も掲示されている。ストロンチウムだ。
これを機にアインシュタイン、バートランドラッセル、湯川さんら著名な識者が立ち上がり、「水爆実験反対」運動が始まった。日本は終戦時の広島、長崎そして第五福竜丸被ばくと言うあってはならないが貴重な経験をした唯一の被爆国だ。だからこそ禁止運動に積極的に関与すべきだが、政府の腰は重い。
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