2019年10月23日水曜日

ノーベル経済学賞なし:日本の経済学者は世界で評価されていないのか


ノーベル経済学賞発表から1週間過ぎたが、日本の研究者は生理・医学、物理、化学部門では世界的評価を受け多くの受賞者を出しているが、何故、経済学には受賞者がいないのか。日本の経済学者は何故評価されないのか。そんな疑問がいつも出てくる。

そんな時、朝日新聞(2019.10.22)の経済気象台「ノーベル経済学賞と日本」という記事が目に止まった。

それによると、「多くの大学に経済学部がありながら何故、日本は経済学賞だけ受賞できないのか」と問いかける。日本の経済学はガラバゴス化しているのではないかと指摘し、バブル崩壊、デフレ、非伝統的金融政策、格差と貧困など経済的課題では日本は先進国ではないかと言うのだ。

全く同感だ。特に格差拡大と貧困は大きな社会問題になっている。決して後進国の問題だけではないのだ。

それを裏付けるように経済学賞受賞も貧困問題に光を当てる。

2015年は「21世紀の資本」のピケテイさんが途上国の貧困問題研究で受賞した。わたしも本を購入して読んだことがある。

そして今年はマサチューセッツ大のエステル・デュブロ、アジピット・バナジー、ハーバード大マイケル・クレマーの3人が「ランダム化比較試験」を用いて世界の貧困を緩和する有効な方策を検討したのだ。施策を実施する場合としない場合を比較し貧しい人の行動原理を分析した功績だ。

専門知識よりデータを重視、各地域の政治や団体とのパートナーシップ構築に成功、経済が「貧困と不平等」に注目したのだ。

確か新聞でマラリアの罹患率改善のために蚊帳を無償で提供したグループと有償で提供し他グループで比較した結果、有償で提供したグループの方が成績が良かったという記事を読んだことがある。

その他にどんことをしたのか。

インドの学校にカメラを設置した結果、教員の欠勤が減少し、子供の成績が向上したとか、ケニアで肥料の使い方を比較し農業の収益増につながったというし、子供の腸内寄生虫駆除で子供の欠席率が下がったという。

私たちが子供の時に小学校で検便したことを思い出す。朝、マッチ箱に便を取って学校に提出、調べて誰誰に何匹と報告されたものだ。当時は糞便を畑にまき肥料の代わりにしていた。まだ洗剤がなかったころの話だが、野菜を良く洗うことで改善したことを思い出す。

逆に失敗したこともあるらしい。ペルーの小規模事業者に企業家教育を施したが収益は伸びなかったというし、ケニアでは学校教育に性教育をしたが、10代の妊娠が減ったり、性感染症が減ったりはしなかったという。

こういうのを聞くと経済が社会に貢献しているとわかるが、経済学かと聞かれると疑問もでてくる?

日本だってシカゴ大、東大の教授だった宇沢弘文先生がいる。都市問題、地球温暖化、社会的共通資本、豊かな国造りなどで立派な研究があるはずだ。「経済は人びとを幸せにできるか」と問いかけている。

古くは宮本憲一先生も「都市開発と公害」などで業績があり、今でも新興国では役立つのではないか。

日本だって他にも優秀な経済学者はいる。輸入経済理論ではなく日本独自の経済理論もあるはずだ。

今、世界はトランプ大統領の「アメリカ第一」「保護主義」でグローバリゼーションの見直し(?)が始まっているが、日本経済もグローバリゼーションで「よき日本式経営」がないがしろにされたが、今米国の経済界は「株主第一から従業員第一、地域に貢献する」経営に舵切をしたそうだ。

日本式経営が見なおされる時代が来ているのだ。これなら検証データがたくさんあるはずだ。よく経済政策を論じるときに専門かは「経済はあらかじめ実験ができない」と嘆きがそれは嘘だ。学問に興味はあるが現実問題には興味がないと言っているのだ。

そんなことではノーベル経済学賞はもらえない。

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