安倍総理が憲政史上首相在位最長日数2887日を更新中だが、本当にこれでいいのか。民主党政権から政権の座を取り戻した2012年の自民党総裁選で谷垣さんが出馬していればどうなったか。厳しい選挙戦になっただろうが安倍さんの総理の芽は無かったのではないか。
そして今の民主政治の根幹を揺るがす一強独裁政治も無かっただろう。総理の座を狙う実力者が丁々発止に議論をやり、政策も次から次へ検証することなく打ち上げるのではなく、国会で真剣な議論がされたのではないか。
2012年の自民党総裁選のときのことを思い出してみよう。それぞれの実力者、当時の自民党の谷垣総裁、石原幹事長の泥臭い戦いがあったのだ。
総裁選に立候補したのは安倍、石破、町村、石原、林さんたちの5人だった。
当然に当時総裁だった谷垣さんが総裁選出馬に意欲を燃やしていたが、幹事長の石原さんが自分が出ると周りの意見を聞かなかった。谷垣さんは同じ執行部から2人が出ることには抵抗を感じ自ら引いたことになるが宏池会の古賀さんが支持しなかったことが大きな理由だろう。
安倍さんは町村派に属していたが派閥の長の町村さんも出馬を宣言、森さんや青木さんは出馬には反対だった。
安倍さんは第一次安倍政権の政権放り出しのこともあって可能性は低かったが、麻生さんや高村さんが押したようだ。
派閥からの出馬に反対した森さん、青木さん、古賀さんは石原幹事長を押し、本命と見られていたが、5者の討論会で福島第一原発のサテライトをオウム真理教のサテイアンと言ったために一気に支持を落とし本命の見方が変わった。それまでも資質に疑問を投げかける発言が多かった。
林さんは参議員での出馬で当初から問題外だった。
石破さんは地方の自民党員からは絶大な人気があり、予備選では1位の199票、2位が安倍さんの141票、石原さん96票だったが、国会議員だけの本選で逆転、安倍さんが1位で108票、石破さんが2位の89票、噂どおり石破さんは永田町の自民村では人気が低かった。今も同じ状況だ。
安倍さんが当選した直後、谷垣さんと握手し、安倍さんの総裁での挨拶でも野党時代に自民党をまとめ守ってきた功績をたたえた。
政治に「もし」はないだろうが、谷垣さんが出馬していれば、当然に谷垣さんに決まっていたのではないだろうか。何故、石原さんに長老たちがなびいたのか。当時の石原慎太郎・東京都知事との関係強化があったのではないか。
谷垣さんが具体的にどんな政策を打って出たかわからないが、政策はどの政権でも官僚が作成し、政権が採用するのだ。そんなに違わないだろうが運用、「国民のため」で大きく差が出る。
今、安倍政権で問題になっている、側近連中の好き勝手な政策運用、民主政治の根幹をも揺るがす忖度政治、「桜を見る会」のような公的イベントを私物化し利権をむさぼり、国民がそんなに望んでいない憲法改正を恣意的に推進しようとする事態にはなっていなかったのではないか。
その弊害を悟ったのか自民党は谷垣さんの登板を望んだが、残念なことにサイクリングで転倒し重傷を負い、議員生活に終止符を打った。それでも東京都知事選出馬の話がもたらされていることを考えると谷垣さんの存在は大きいのだ。
あの時、谷垣さんが出馬していたら、今の自民党政権は変わっていただろう。歴史は大きく変わったかもしれない。残念で仕方ない気がする。
このままでは政権を野党に奪われたとき、「あの悪夢のような自民党政権」と批判されても仕方がないのだ。
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