2019年11月29日金曜日

安保法違憲訴訟請求棄却:裁判官もサラリーマン、「君子危うきに近寄らず」だ


集団的自衛権行使を認めた安保関連法が違憲かどうかを争う東京地裁の判決が7日に出た。原告主張の平和的生存権は裁判の対象となるような具体的権利とは言えないとして請求棄却の「門前払い」で裁判による救済は相変わらず難しいのだ。

我々は何かあると最後は訴訟に持ち込めば救済してくれると裁判に信頼を寄せているが、そうともいかないのだ。

裁判官も憲法で身分が保証されているとはいえ、我々と同じようにサラリーマンだ。最高裁などの過去の判例に踏み込んだ判決など出来るはずがない。「君子危うきに近寄らず」なのだ。

私も8日の朝刊の記事は知っていたが、「またか」の感想しかなかった。ところが朝日新聞(2019.11.26)の「政治の領域 踏み込まない司法」は私たちに考えさせる内容だった。これから生活は高度化しいろんな権利侵害が出てくる。政治の世界でも国民の権利を侵害する恐れも出てくる。特に安倍政権にあっては恣意的解釈、運用が気にかかる。

違憲審査権は最高裁が持っている。だから下級審は最高裁の判例を踏襲することになる。一番無難な判決なのだ。ときどき高裁、地裁で一歩踏み込んだ、原告側の主張を認めた判決を下すこともあり、原告側は「認められた」と喜ぶが、上級審や最高裁へ行けば覆されるのだ。

一歩踏み込んだ判決をした裁判官は出世できないか、左遷となる。憲法で裁判官の身分は保障されているが、人事は最高裁が持つが最高裁の裁判官は内閣が承認する。だから政権を忖度することになる。

最高裁の裁判官は定期的に国民審査を受けるがどんな考えを持っているかはわからない。過去の訴訟でどんな判断をしたかは実績として紹介されるが、新しい事案にどう対応できる裁判官かはわからないのだ。だからこの裁判官はYESNOかの判断もしにくい。

さらに難しくしているのが、「付随的違憲審査」制があるらしい。実際に権利の侵害があったと言うことが重要なのだ。「漠然とした不安」だけでは「憲法判断」を下せないという。

だから国民が権利を侵害されるからあらかじめ裁判で阻止しようとしても「門前払い」になるのだ。だから「最後の砦」ではないのだ。

今回の原告側の主張を見ると、「安保法により戦争に巻き込まれる可能性が高くなり憲法前文に言う「平和的生存権」を侵害するという。確かに集団的自衛権反対の国会前集会を見ると、「戦争反対」「子や孫を戦場に送るな」というプラカードが目立った。

更に憲法9条の自衛隊違憲解釈を覆し、第13条幸福追求権を否定、憲法96条の憲法改正手続きを無視した閣議での解釈変更などが憲法違反になると当たり前の要求なのだ。

これらの訴えに裁判所は、平和的生存権は裁判の対象となるような具体的権利とは言えない、人格権では「漠然とした不安」の域を出ないとして訴えを退けた。

今の裁判所の考え方は、「現実に戦争が始まること」が裁判の前提条件なのだ。これではあまりのもハードルが高く、裁判が救済手段とはとてもではないが思えない。

安保関連法で日本が戦争に巻き込まれることがあるか。海外で活動中の自衛隊がテロなどで襲われ多くの死傷者が出る。北朝鮮が日本海に向けてミサイルを発射しているが、日本本土に打ち込むことはないのか。そのためには外交が重要と言うが外交で応じてくれない国なのだ。

最後のよりどころは最高裁の違憲審査権だが最高裁も時の政権を忖度する。行政に関わることには踏み込まないのだ。



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