2019年11月30日土曜日

中曽根康弘元首相の功罪:理論物理学者曰「原子力を危険な技術にした張本人」と


中曽根康弘元首相が101歳で亡くなった。土光臨調、小さな政府、国鉄民営化、日米関係の強化など功績は大きい。中でも原子力予算成立に中心的役割を果たし原発政策に深くかかわった。しかしこれが原子力事故に結びつくことになることを忘れてはならない。これを指摘しているのが理論物理学者の故武谷三男さんだ。

「原子力を危険な技術にした張本人」というのだ(「危ない科学技術」武谷三男著 青春出版社 20003月)。

それに拠れば、始まりは中曽根札束予算なのだそうだ。「学者がグズグズしているから札束でほうをひっぱたくのだ」と言い中曽根さんが原子力研究に23500万円の政府予算を計上したのだ。之に多くの学者、研究者が飛びついた。グズグズしていたのは日本学術会議や湯川秀樹さん、武谷さんらのグループだったのだ。(同書)。

基礎研究はそっちのけでアメリカの「ウォーター・ボイラー・JRR1」というおもちゃのようなものをアメリカから買った。一方、武谷さんらは「原子力平和利用三原則」を日本学術会議に提案したのだ(同書)。原子力利用にはこの三原則を守るのが前提なのだ。

「公開」とはよく言われている情報公開だ。今までも事故などが起きるとその原因などは秘密にされていた。原子力発電でも周辺の住民に十分な情報は伝わっていない。

「民主」とは生命の絶対的安全が科学的に実証されず、多数決で決められるものではないのだ。推進派はこの点をないがしろにしている。「自主」とは、日本に導入するときは日本の国土にあった設計をしなくてはならないが、外国の技術をそのまま日本に導入した結果、3.11東北地方太平洋沖地震のときに津波で非常用電源が使えなくなった。

地震の少ないアメリカでの設計を、地震大国の日本でそのまま導入した結果なのだ。風土に対応できる設計にすべきだったのだ。東電の福島原発は第1号機であったのだ。

中曽根さんが急がずに日本学術会議は湯川、武谷さんらのグループの提言を聞いていればこのような甚大な事故は防げただろうことを考えると残念だ。

中曽根さんは選挙区の高崎に日本原子力研究所を誘致している。

昔、旧群馬3区からは福田、中曽根、小渕、山口(日本社会党)で定員の4人が占めていた。ほとんど福田さんがトップ当選で、小渕さんが最下位当選、あるとき総理の座を狙っていた中曽根さんが立会演説会(今はなくなったが当時は各所で開催されていた)で「小渕さんに負けたら私には芽が無いんです」と泣き言を言っていたことがある。それだけ福田vs中曽根は上州戦争といわれていた。

これだけ大物議員が競い合っているのだから勉強も欠かせなかったのだ。勉強家としても知られていた。

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