2019年11月7日木曜日

「説明責任」「私の任命責任」は安倍政権の逃げ口上、野党は攻めにくいか


相変わらず、政治家、閣僚の不祥事には本人の「説明責任」、安倍総理の「私の任命責任」、さらには失言に対して「前後の文脈を」が責任逃れの常套句になっている。野党も責めづらいのは、当人たちが本気で責任を感じているわけではないからだ。

2人の閣僚の辞任に対して記者団に対して説明責任を果たすと言いながら一向に果たす形跡はない。当然だろう。説明責任を果たさないから辞任したのだ。

それでも公選法違反となると閣僚であろうとなかろうと説明責任は消えないが、残されたのは選挙民の判断だ。次期選挙でどうなるかだが、意外に復活できるのだ。

共産党の議員が公選法違反の買収行為は大臣の資格以前の問題だと指摘している。

安倍総理は「どうして2人を任命したのか」、「以前にも週刊誌で不祥事が報道されていたがどう考えたのか」、そこのところが問題なのだろうが、「菅官房長官がごり押しした」のが実態だろうが言えないのだ。逆に菅さんの責任だと思って悠長に考えているのか。

それでも安倍総理は「国会議員として内閣にあろうとなかろうと、与野党に関わらず説明責任を果たすべきだ」と正論を打つ。

だったら、森友事案、加計学園事案は総理自らの疑惑であるのに何故、国民の80%が説明ができていないというのか。

「私の任命責任」もいつも空虚に聞こえる。口先だけで何ら責任を取ったためしはない。行政府の長がその通りだから皆右にならえだ。忖度していれば何とかなるのだ。

加計学園に関連した萩生田さんの文書が文科省内で見つかったことに関し、「誰が書いたのか」と質問され安倍総理は席から「あなたが書いたのではないか」と野党議員を指さしながらヤジったシーンがテレビで流れた。

相変わらず品のない総理の姿を見せつけたが、どうして総理罷免の動きが起きないのか。野党の理事たちが委員長席に駆け寄って何やら話し合いしていたが、どう対応したのか。やっぱり野党の議席数の少なさがメリハリの利いた国会運営ができないのだ。

萩生田文科相の「身の丈」発言が追及されていたが、萩生田さんは前後の文脈をよく読めと言う。「身の丈」の箇所だけが取り上げられているが、その前後をよく読むとそれほどでもなかろうと言うのだろう。

しかし、大学入試に民間の英語試験を採用するとなると、受験費用、試験場など全国津々浦々の受験生を考えると金持ちと貧乏の格差が出てくるのは明らかだ。そういうこともあって「身の丈」発言は「貧乏人は諦めろ」、「貧乏人は他のことを考えろ」と言う意味に取れる。

今、政府は貧しい家庭の子どもでも教育を受けるチャンスを与えようとしているのではないか。そういった方針と著しく異なる。

更に疑った通りに業者との癒着が明らかになっている。下村元文科相の時代に進めた政策だ。延期になったことで業者は損害賠償を国に考えているようだが、チョッと無茶な政策だ。

おまけに英語だけでなく、国語数学でも記述式に問題があるらしい。なんと採点をアルバイトがするそうだ。アルバイトが記述の優劣を判断する資質があるのか。

ついに高校生も反対に立ち上がった。もう共通一次のような試験はやめたらどうか。各大学で特徴のあるテストを実施した方がいいのではないか。国際舞台で通用する人材は大学のカリキュラムで組んでもいいのではないか。

安倍政権は何をやろうとしているのか。

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