2018年11月11日日曜日

AIは万能?:恐れるな、私たちの仕事の一部を手助けしているだけ

読売新聞 2018.11.11「 AIは万能 誇大広告」

「AIなんて怖くない」、私たち人間の仕事の一部を手助けしているだけなのだと確信した。チョッと前までは「AIに仕事を奪われるのではないか」、だったら「俺たちは何をすればいいのだ」と思ったことがあるが、読売新聞(2018.11.11)の「「AIは万能」誇大広告」と言う記事を見て「やっぱりそうなんだ」と考え直した。専門家の一部が夢を膨らませているだけなのだ。

「人間が仕事を追われる」実態がよく理解されていなかったのだ。それには政府が成長分野に「AI技術の活用」をあげ「人工知能技術戦略」を策定し農業の無人化、創薬や診断支援、完全自動運転、そして社会のあらゆるモノ、サービスがAIにつながるのだと提言、このような先端技術の開発には巨額な助成金を付けた。

そこで高度な技術でなくても国の予算がつくというので企業は注目した。国も予算を消化するためにタイトルと技術の概要だけで内容も十分にチェックせず予算を付けた。

私たちは先端技術の紹介で車の自動運転システムの開発映像を見せられる。運転手は手をはなしているのに道路と車に設置したセンサーからの情報のやり取りで自動運転らしきものが」可能になるのだ。

ところが問題も発生した。自動運転で人身事故を起こしているのだ。夜間に暗い道で人間が飛び出し人身事故につながった。原因は飛び出した人間の情報をセンサーがつかんていなかったのだ。センサーの技術の問題だが、人間がライトを遠目にして走っていれば防止できる事故だったかもしれない。

ところで考えてみよう。自動走行のできる車を買ってどうするというんだ。車を持って運転する喜びなど感じるのか。遠乗りで家族ドライブを楽しめるのか。安全運転をアシストしてくれればいいが、チョッとやりすぎではないか。インフラ投資もばかにならない。無駄な投資ではないか。

役立つ分野も多い。医療分野だ。医療業務では応用が多い。画像診断、血液検査などの検査値、血圧、問診などのデータをシステム化すればいい。医師による画像所見の見落とし、誤診、可能性のある疾病の見落としなどを防止できる。

手術の自動化などは不可能だろう。患者の部位を立体画像で処理することができるだろうがそれに基づいて自動メスが動く状況を想定したことがあるか。患者の状態をセンサーなどで確認することはできるが、患者の顔色などは判断できない。数値で表せないものには対応できないのだ。

農業の無人化はどうか。人工灯に照らされ人工培地で育つ農作物は収穫までできるが屋外の田畑での農作業はどうか。コンバインなどでかなりの自動化はされている。しかし自動化はどこまで要求されるか。

ビッグデータの処理はAIは得意だろう。人の往来の激しい場所で犯人の顔、歩き方、体形などから指名手配者を割り出す仕事、チョッとした仕草などから薬の取引を見つけ出すことは可能であるが、見当たり(?)警察官のように即逮捕、拘束と言うことまではできない。

あくまで人間の仕事の一部を手助けするだけだ。

新聞記事によると、人工知能学会の前会長である山田先生が「AIはまだ人間の2歳児の知能にも及ばないレベル」という。まず指示されたこと以外はできないのだ。プログラムされていないことは無理なのだ。

人間の子供が毎日やっていること、大量の情報の取拾選択→的確な状況の判断」がAIに難しいのだ。

またAIでは多くの情報を処理しているが「なぜそうなるか」の因果関係がわからないという。

しかし、これは人間でもいえるのだ。「何故、そんな仕事をしたのか」と問うても本人が何も言わずに黙ってしまえば何もわからない。そんな人間が意外に多い。自分のやったことの正当性も説明できないのだ。こんな人間はAI以下だ。

政府の計画、産業界の言い分を鵜呑みにしてはいけない。

我々が目にするニュースを冷静に考えると、AIは期待したほど万能ではなく、脅威も感じないのだ。

AIの定義も定まらず、技術の進歩に連れて変遷しているらしい。

「センサーを介して取り込むことができる多くのデータから決められたアルゴリズムに従って判断を下す」ことはAIでできるが、「状況を見て判断し行動する」ことは人間にしかできない。

何でもできる妄想は捨て、無駄な投資はやめるべきだ。人間の行動をアシストできるが、人間に代わって仕事を完成させることはできない。「人間第一」に変わりはない。

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2018.1.9掲載
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yamotojapan.blogspot.com/2018/01/ai.html


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