2019年2月27日水曜日

普天間返還、辺野古移設(2):23年前の合意、情勢の変化に適応しているのか

1996年当時の橋本総理が沖縄県民に思いを寄せ米軍基地問題に取り組み政治的リスクに晒されても普天間返還に取り組んだ合意も23年後の今、まだゴタゴタのぶり返しの中で辺野古移設工事が進む。情勢の変化に対応できているのか。それとも対米追随でやらなければならないのか。

そんな中で24日行われた辺野古移設の是非を問う県民投票は投票率52%、反対72%で賛成19%を大きく引き離す結果になったが、「真摯に受け止める」とは言いながら埋め立てを継続している。菅官房長官は「玉城知事は対案を出していない」と無理なことを言う。

沖縄県民の民意にこたえるためにもここで一旦工事を中止し在日米軍のあり方、アメリカの海兵隊への考え方、そして米軍基地の沖縄偏在問題をもう一度検証する機会を持てないだろうか。1996年代だって米国では在沖縄海兵隊の機能について議論されたことがあるようだ。

そんな時、橋本総理(当時)の秘書官を務めた江田憲司議員が当時のアメリカ、沖縄の関係者と協議し「普天間返還」「辺野古移設」を決めた経緯を「独占手記 普天間合意「23年目」」で公開している。これは貴重な資料だ。新聞報道で少しは知っていたが橋本総理が政治リスクをかけて取り組んだ姿が鮮明に伝わってくる。

戦争で親族をなくした経験が沖縄県の米軍基地問題に真摯に取り組むことができ、沖縄県民も橋本総理を信頼した結果合意だったのだ。しかし、今、安倍政権はそんなことは関係なく日米合意を推進するだけのために沖縄県民の意思をないがしろにしていないか。

江田憲司さんの手記によると、当時の沖縄県は普天間基地が市街地に隣接墜落事故など危険が増大していた。さらに少女暴行事件、日本に捜査権のない地位協定は社会問題化、基地負担削減、海兵隊削減など基地縮小が叫ばれていた。

ところが官僚は事なかれ主義、対米追随主義で同盟関係を崩したくない。官僚に任せていては問題解決にならないと考えた橋本総理は沖縄県知事、基地所在4町村長、経済界などと検討を重ね信頼を得た。

そしてクリントン大統領との会談で「普天間基地返還」の話が進むようになったようだ。それには代替地が必要で移転先の確保が条件になった。県外も含めて検討されたが県内に落ち着いたらしい。

場所はキャンプシュワブ沖で「海上施設案」「埋め立て案」「メガフロート案」が検討されたが、役目を終えて撤去の可能性も考え海上施設案で辺野古が決まったようだ(1997.12.24)。

辺野古受け入れを名護市長はOKしたが大田知事(当時)は翻り「辺野古ON」を言い出し橋本総理と対立するようになったのだ。

96年当時は安全保障の考え方から海兵隊の削減など言いにくかっただろうが10年後に米国で在沖縄海兵隊の削減8000人、グアム移設が問題になった。

詳しいことは江田憲司さんの独占手記をネットで読んでほしい。

朝日新聞(2019.2.22)「辺野古 米国から見た」で2人の元米政府当局者が1996年当時のアメリカの沖縄海兵隊の検証を実施したインタビュー記事が掲載されている。

一人は沖縄海兵隊の意義を認めている。安全保障を考えると戦略的に重要とし、朝鮮半島有事、平時の中国への抑止力として機能するという。ただ今、中国が軍拡をやっているときでもあり撤収はタイミングが悪いのだ。

日本の陸上自衛隊を育成し海兵隊に置き換えるなど基地は維持しつつ米軍基地を少しづつ減らしていく。米軍の再編が必要だろうという。辺野古移設は騒音対策、他の基地へのアクセスを考えた時、最悪を避ける妥協案だという。

もう一人は在沖縄海兵隊を否定する。訓練においても運用が難しく、半島有事、対中国、対東南アジアへの戦略的役割も規模が小さく戦略価値なしと言う。

海兵隊の存続を考えるとアメリカ本土移転より沖縄継続の方がコスト的には安価であり、米本土へ移転すれば当然に規模の縮小が問われるだろう。日米安保保障など関係ないのだ。

辺野古についても軍事施設を海岸沿いに埋め立て建設する時代ではなく、中国からの攻撃にも脆弱で「辺野古建設はおろかな計画」と言ってのけた。

「変化に適応しているのか」と問いかける。

どうだろうここで一旦立ち止まって広く議論すべきではないか。実際の工事では軟弱地盤がわかり、広範囲に地盤改良、対策が必要になってきた。約8万本で深さ70mの支持杭が必要になるのだ。さらにジュゴンの生息域、サンゴについて安倍総理は「移した」と言ったがウソらしい。こんなことがわかっていれば辺野古工事など選択しなかったのではないか。

安倍政権は対米追随を貫くようだがアメリカこそ海兵隊の検証をすべきではないか。

0 件のコメント: