我々のように高齢者になると、「小沢一郎さんという政治家は何だったのか」という疑問が大きい。権勢を振るった自民党を離党しいくつかの政党を立ち上げ、解党、合流を繰り返し最後は民主党政権で念願の政権交代を成し遂げたと思ったら、またまたチームワークを乱し「壊し屋」の印象を強くした。
その小沢一郎さんと言う政治家を評価できる記事が目に付いた。読売新聞2021.5.17「小選挙区制25年 語る「1人を選択」「国民に浸透」」のインタビュー記事だ。
親の後をついで衆議院議員になり「小選挙区制の導入」に力を入れたそうだ。日本は何十年も政権交代がない。自分の意思表示をはっきりしない傾向があり、これでは民主主義を発揮しているとは言えない。誰か一人をきちんと選ぶためにも小選挙区制の導入が必要だったと言う。
そのためにも小選挙区制導入で議会制民主主義を確立した英国を見習おうと何度も英国を訪問したと言う。
当時は確かに理想だったかもしれないが、最近の英国のEU離脱の国会審議を見ていると「何だったのか」と疑問が出ないか。51vs49の多数決はその後の波乱を予期していたか。
だから今、日本は国民投票法で多数決を採用しようとしているが、小選挙区制で多数決をどう評価するか。
それは別として、小沢さんの行動をどう評価するか。
自民党で最大派閥竹下派に属し、幹事長までなり権勢を振るったが、自民党は本気で政治改革するつもりはないと見たのか、自民党を離党し、新党を結成した。
細川連立政権、小選挙区制の導入で政治腐敗をなくし議会制民主主義の確立を目指した。しかし当時の記憶では夜遅く細川総理が環境福祉税を唐突に打ち出し、当時の連立政権の官房長官が反対し政権内がゴタゴタしだした。小沢さんと細川さんが大蔵省の意向を組んで打ち出したらしいが、政権内の乱れを修復することは出来ず細川内閣崩壊、羽田内閣と続くが社会党が連立政権から離脱した。ある政策で社会党に小沢さんが決断を迫ったが社会党は「NO」で切って捨てたのだ。
当時は、ここで小沢さんが我慢していればその後の展開は変わっていただろうと見られていた。
その後、民主党をまとめ、自民党政権に飽きた国民に向かって「政権交代しませんか」と訴え、念願の政権交替を実現させた。小沢さんの貢献は大きかったと言う。
しかしまずいことをやってしまった。大風呂敷の選挙公約(マニフェスト)を造ったのだ。財源の見通しもないマニフェストに批判が集中した。当初小沢さんは、一般会計でも5~10%は削減できると考えていたようだが、そうはいかなかった。大々的に業務の見直しをしたがたいした無駄が見つからなかったか。
民主党政権では小沢さんとの権力の二重構造が心配されていたがそのとおりになった。決断の遅い鳩山内閣時に、「これが民意だ」と官邸の乗り込み決断を迫った。鳩山総理は小沢さんの首を取って辞職した。
続く菅総理ともギクシャクし、「小沢さんには黙っていてほしい」と記者会見で発言し、内閣支持率を上げた経緯がある。そうこうしないうちに3.11東北地方太平洋沖地震、津波災害で東電・福島第一原発の事故が発生、民主党政権は苦しい対応に追われた。
当時の政局は「何時、解散総選挙か」の一点張りだった。菅総理は次から次に政策を打ち出し「達成できたら辞任」と言い出したが長続きはしなかった。
代る野田政権では消費税増税で小沢さんの意向が反映されなかったということで反対、離党した。「国民の生活が第一」と言う党を結成、その後も野党合流に加わったが、小沢さんという存在が野党統一に足かせとなっている。
だから小沢さんという政治家を評価するのは難しい。
小沢さんは言う。今の野党は政権をとる志が薄い。野党は共闘し国民に政権の選択肢を示す必要があると言う。一時、小沢さんが野党をまとめようとしたが「小沢アレルギー」は余りにも大きすぎる。
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