2021年5月6日木曜日

又、憲法記念日だ;注目はコロナ禍での「公共の福祉」と私権の制限か

 

今ほど「公共の福祉」の考え方が重要な時ではないか。 

緊急事態宣言、まん延防止措置下での国民の健康で文化的な最低限の生活を営む権利(憲法第25条)、生命、自由および幸福追求に対する国民の権利(第13条)と国民の財産権(第29条)が衝突、調整の必要が要求される場面が多く目立ってきた。 

新型コロナウィルス感染拡大で国民は健康で文化的な生活を維持する権利がある一方、大勢が集まったり、飲食する場所での感染拡大が懸念され事業者である国民に営業自粛を要請する機会が多くなった。 

営業自粛は事業者にとっては死活問題で十分な補償がなければ要請にこたえられないという。老舗の店舗が廃業にもなっている。 

不要不急の外出自粛、都県を跨いだ移動の自粛要請も「自粛慣れ」「気の緩み」から人出は減らず、自治体の「路上飲食禁止」「河川敷でのBBQの禁止」も効果が薄い。 

連休を家庭で過ごさせるには「子供がかわいそう」と連れ出したところが、混雑し感染の危険も出ている。 

ここに人権問題も絡む「公共の福祉」が出てくる。

考え方や利益の違いが衝突を起こし調整する必要が出てくる。権利を主張するものに対して何らかの制約が出てくるのだ。 

大事なのは「常に他人との人権の関係において」のことなのだ。 

日本国憲法では「公共の福祉」を用いた条文が多い。

12条自由、権利を「公共の福祉」のために利用する責任、第13条個人の尊重と公共の福祉、第22条公共の福祉に反しない限り居住、移動の自由、第29条財産権は「公共の福祉」に適合すべき等の記述が多い。 

でも、「公共の福祉」とは何ぞや。 

最高裁の判例は基本的人権は「公共の福祉」の枠内でのみ保障されると言うがその「公共の福祉」とは何か。最高裁は明確にしていない。規制が妥当かどうかは「常識的」に決定すると言うがその基準は何か。 

最高裁は具体的事案でしか論じていない。たとえば最近では奈良県の「ため池事件」がある。具体的内容は忘れたが、ため池を改修するために周辺で野菜などを作っていた農業従事者の権利を保障しなくてよいと言う内容だったか。 

私も今回の新型コロナウィルス感染拡大防止のための緊急事態宣言、まん延防止措置での「財産権の損失」は不要だと思う。それよりも国民の健康で安心な生活を守ることが重要である。これこそ「公共の福祉」だ。 

ただ、憲法第252項に「すべての生活部面において、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」と言うのだ。長いこと政権が怠ってきた政策の不備が今の新型コロナ感染拡大につながっていないか。

 

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