2021年5月16日日曜日

今日の新聞を読んで(464):新聞編集は「PDCAサイクルのPが9割」か

 

新聞社に入社して1年にも満たない若い(?)デジタル編集記者が読者が読んでくれる記事の編集で紙とデジタルを比較し紙面構成の難しさを暴露した面白い記事が目に留まった(朝日新聞2021.5.15オピニオン欄「メデイア空間考「紙面とデジタル 「プランが9割」に驚いた」)。

新聞記者になれば読者が読んでくれる記事を書こうとするのは当然だ。学生時代に朝日新聞を読んで思い出したことがある。新米記者が喪中担当の記者に配属されがっかりしていたら、その上司が「何を言うんだ、記事を書いても読者が読んでくれるかどうか分からないが、喪中記事は政治家、経営者などのトップが必ず読んでくれるのだ。こんな仕事はない」と諭したそうだ。50年以上前の話だが覚えている。 

そのオピニオン記事によると、新聞編集で「どういう記事を載せるか、計画(P)、実行としての編集(D)、読者がどう評価したか、読んでくれたか、評価(C)、そして新たな企画(A)のPDCAサイクルで内容の充実した記事に持っていくべきだが、読者に読まれる記事をどう構成するかの計画(P)に9割の労力をかけているという(PDCAの内容は私が勝手に記した)。

新聞は紙面なので編集・構成は楽で必ず家に届けられるが、読者がどんな記事を読んでくれたかは分からない。 

逆にデジタルではサイトに記載し、読者が検索し目に留まる。読者の反応が検索件数という数字で現れる。読者の真の声が分かるのだ。だからデジタルではPだけでは終わらないと言う。 

新聞、デジタルの記事でも読者が読みたい記事ばかりでなく、反対に読者に嫌われる記事も必要なのだという。 

久しぶりに真っ当な記事を読んだ気がした。 

PDCAサイクルと言うと品質管理、経営の管理手法で現役時代は大いに活用したものだが、仕事を離れると縁がなくなった。政治の分野にもPDCAを活用すべきではないかと経済界の重鎮などが行政に指摘していたが、政策に次ぐ政策でその効果を検証し、政策の見直しをやっているようには見えない。

今の新型コロナ禍対策での諸政策を見るとPDCAをしっかりやっていれば後手後手の対策とは批判されないで済んだのではないかと思うが、検証などやっている暇が無いのか。 

私も全国紙2紙の他に他のメデイアの電子版5紙を毎日見ている。特に読者が読んでくれるかどうか分からない小さな記事に注意している。これも誰かが言っていた。「新聞を読むには大きな記事は読まなくても良い。皆が読んでいるので職場などで話に出るし、テレビのニュースでも流れる」と。確か竹村健一さんだったか。

新聞編集者のどんな記事を載せるか、読者は読んでくれるか、どれぐらいの読者が読んでくれるか、目にも留まらず没になるか、悩みは尽きないだろう。 

新しい情報を流すのも仕事だが、あの記事はどうなったか、その後の検証を流すのも大事だ。政府の政策が報道された後で、その背景、動きを検証、報道されることがあるが、それを読んで「そうだったのか」と理解が進む。逆に何故、同時に検証記事を流さないかと思うのだが、解説が付いている記事もある。

読者の意向を忖度するのも大事だろう。広告などの収益で経営に影響する。しかし記者としてこれだけは伝えようと言う使命もあるはずだ。難しい問題だが果敢に挑戦してほしい。 

今、日本のメデイアは安倍政権、菅政権で睨みを利かされ萎縮していると見られている。東京オリンピック開催の是非でも海外メデイアのほうが信頼できる。

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