2021年5月9日日曜日

小さな記事の大きな課題(29):政治の劣化を憂う? 昭和が良かったか

 

近年政治は劣化している。金権政治といわれながらも今より昭和の政治の方が健全だった。そこには「公」の意識と命を削るほどの激しい権力闘争によって生まれる緊張感があったと言う(読売新聞2021.5.9老川著「政治家の責任」に対する加藤聖文氏の書評)。 

確かにそうだ。この8年間の安倍政権を見ても当初は異次元の金融緩和策で日本経済を立て直した功績(?)は認めるも党内政敵をつぶす間違った権力闘争、公文書捏造など民主政治の根幹を揺し、私権をむさぼる政策に国民の不満は募り、法廷闘争に向かう。 

昭和にも「政治とかね」の問題は尽きなかったが、それぞれ派閥の長は総理の座を目指し、政策論争、派閥拡大に力を入れた。

どんな政治家がいたか思い出そうとしたが大○角福と語呂が合わないし、1人が誰か思い出せなかったがクリーンが売りの三木さんを思い出した。三角大福だ。三木、田中角栄、大平、福田さんの4巨頭だ。田中さんは金集めと「日本列島改造論」で公共投資に力を入れた。 

最後はロッキード事件で辞職するも田中派は100人を超える大派閥、金権政治のもっとたるものと批判が集中、自民党もこれじゃダメと立て直しに向かう。 

金権政治の後はクリーンさを出すために椎名さんが総裁に三木さんを指名した「椎名裁定」だ。 

しかし、「金権政治」に果敢に取り組んだ最小派閥の三木さんが田中角栄さんの扱いで自民党内の反発を買い失脚することになった。 

不祥事に対する自民党内の自浄作用はどの時代でも難しいのだ。 

安倍政権時代は安倍総理の私権、私欲に対して国家公務員が忖度する事態が発生した。森とも事件では国有地を格安で払い下げる事案は今も裁判の途上にある。新獣医学部新設では安倍さんの古き友人加計氏に利権を与えたことになる。ここにも公務員の忖度が働いた。 

緊張感の欠ける政治に対して公文書をエビデンスとして使いこなし、如何に論理的かつ建設的な刺激を政治に与えるか、ジャーナリストにとって真価が問われると言う(加藤)。 

そうだと思うが、今はメデイアやジャーナリストが政権の意向に振り回され、政権に厳しい批判をしたメデイアはMCの更迭をやっている。我々の税金で運営されているNHKも例外ではない。テレビの情報番組に出ていたジャーナリストの姿が急に消えたこともある。安倍政権に続き菅政権もメデイアににらみを利かせている。 

国会審議を見ても野党の質問に「はぐらかし」答弁、「コメントを差し控える」発言が多い。これでは政策論争にならない。 

「政治の劣化」の多くは、政権党の度量の狭さにあるのではないか。それだけ政治家の質が劣っているのだ。

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