2021年10月10日日曜日

そうだったのか(2):1960年の岸から池田、今回の安倍から岸田の政権交代、自民党は変わらないか

 

1960年頃の岸総理から池田総理へ、そして今回の安倍総理(菅総理)から岸田総理へ。キーパーソンは岸さん、吉田さんという安倍さん、麻生さんの祖父がおり、今回も安倍、麻生さんがキーパーソンになった。自民党は総裁、総理選挙で今も昔も変わらない。 

当時私は高校生だった。今、岸田総理の「令和版所得倍増」「丁寧で寛容な政治」のテーマを聞くと池田勇人さんを思い出す。当時は政局も厳しかった。岸さんは安保問題に力を入れていた。アイゼンハワー米大統領を迎えて調印しようとしたが学生デモに国会を包囲され、マニラで訪日のタイミングを計っていたアイゼンハワー大統領は訪日を断念、岸さんは「声なき声」に耳を傾けると退陣した。 

この辺までは記憶にある。それ以降は、朝日新聞2021.10.10「日曜に想う 岸田首相に送る大平氏の言葉」と言うタイトルの曽根編集委員の記事が目に留まった。

当時は政治も混乱していたはずだ。岸さんの後、党人派の石井さんと官僚派の池田さん、そして岸政権で外相だった藤山さんが総裁選で争った。 

当時、優勢だったのは党人派の石井さんだったが、キーパーソンの吉田さんは池田支持、岸さんも池田、藤山さんも池田支持、石井陣営の軍師役に河野一郎さんがいた。河野太郎さんの祖父だ。 

池田さんは岸(安倍さんの祖父)、吉田(麻生さんの祖父)らの支持で総裁に、石井さんは河野一郎さん(河野太郎さんの祖父)の応援があったが負けた。 

池田さんは「所得倍増」「寛容と忍耐」を掲げ就任4ヵ月後の衆院選で社会党に圧勝した。 

池田さんは岸・亜流政権と言われるのを嫌い、「万事岸に裏返し」を目論む。幹事長には前尾さん、官房長官に太平さんを選んだ。大平さんは「岸・強権政治から池田対話政治への転換」を体現した。

太平さんといえば勉強家だ。総理のときも帰りに本屋に寄り本を購入するニュースが流れたことがある。「あ~う~ 」と寝てるように見えるが考えているのだと言う。大平さんも厳しい選挙戦を経験したが「60点の政治」を信条とした保守政治家と言う。

「所得倍増」は「中間層を革新がつかまえれば保守党は先細り」との池田さんの危機感から出てきた発想だった。 

社会党は安保騒動を政権交代につなげることが出来なかった。 

曽根編集委員は、池田派の流れを継ぐ岸田総理が本当に帰納すべきは、大平さんの「60点の政治」だと言う。自分だけは満点だと想うあまり独善と排他的にかかることを戒めた。

こんなことを考えると、自民党は今も昔も変わらないのだ。 

一方、読売新聞2021.10.10「決戦の記憶 保守取り込み民主308議席」のタイトルの中で鳩山内閣で官房副長官をした松井さんが、政権選択解散で「民主党が勝ったと言うより自民党が負けた」選挙だったという。これは以前から言われていたことだが、今の立憲民主など野党のやり方を見て苦言を呈する。

立憲民主は各省庁の担当者を呼びつけ「合同ヒアリング」を開き追求していることに警鐘を鳴らす。民主党政権も刷新感を出そうと非現実的な目標を掲げ、必要以上に官僚をたたいて失敗した。今の野党もそのDNAに縛られていると言うのだ。 

野党も今の昔の変わらないというのだ。しかし、野党は政権党との違いを求められている。野党が新しい政策を出せば、自民党政権が先取りし選挙で野党つぶしにかかる。安倍政権で多く見られた現象だ。 

自民党は世襲議員が多くなった。その連中が政権の中枢についている。祖父の政治家に比べて「坊ちゃん政治家」にはどことなく軽量を感じる。ポピュリズムで人気を得ようとするから本来の政治から遠のくことになっていないか。 

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