2019年9月20日金曜日

東電・旧経営陣3人に無罪判決(2):過去の判例の踏襲でなく、新しい判例の構築ができないか


東電旧経営陣3人に対する無罪判決で思うことは、過去の判例の踏襲ではなく、大企業が展開する事業の安全確保に関して経営トップに責任を課す新しい判例を構築する機会にできないか。

今回の東電旧経営陣に対する業務上過失致死傷事件の東京地裁の判決が出たが、裁判官の国民感情とはかけ離れ且つ社会通念上も通用する考えを持ったものではなく、その稚拙さに驚くとともに、東電経営陣も安全に対する意識の劣る人間が巨大企業の経営に携わっていたことに驚きを隠せない判決だった。

法曹界と言う一般国民生活とはかけ離れた世界に生きる裁判官の育成に問題があるし、そんな人間を憲法は身分保障しているがそんな必要はない。こんな憲法の規定こそ改正し削除すべきではないか。

政治家、大企業や官僚に対しての責任追及はなかなか難しい。訴訟維持が難しければ検察官は不起訴処分にするが、それは密室での判断だ。それに対抗するために検察審査会があり、「起訴相当」「不起訴不当」などの判断をすれば検察官は再捜査しなければならない。

今回もその事例である。強制起訴は不起訴の理由を透明化することであるが、国民が考えれば起訴→有罪なのだが今までの例では起訴→無罪だ。一般には「疑わしきは罰せず」の理屈だが、こういう事案は「疑わしくは有罪」の動きにもっていかなければ企業トップの安全配慮はおろそかになる。自動車メーカーの品質不正もそうだが、企業トップに責任を持たせることをしなければ、事故や不正は無くならない。

これだけの大事故を起こした結果から考えても経営者の責任は重大と思うが、10数年ほど前の状況下でどう判断すべきだったか

判決では経営トップ3人に「予見可能性がなかった」と言うだけで責任を退けていいのか。系列会社の若手技術者は長期予測を信頼し、シミュレーションで10mを超える15.7mの津波が押し寄せると判断し対策の必要性を御前会議でも主張していた。

若手技術者は「巨大津波の予見」を持っていたが、経営トップはもっていなかったということは、能力のない人間が経営に携わっていたのか、予見可能性を認めれば会社の責任まで発展することを恐れたためか。

この事故の重要な点は政府機関が発表した「長期予測」で15mを超える津波が押し寄せる可能性に言及したことだが、専門家には異論を唱える者もいたという。確かに1896年の明治三陸地震の予測では反対意見があるのは確かだ。御用学者も大勢いる。

更に他の電力会社も全面的対策を取っていなかったと言う。でも事実は違うようで日本電源は外部には発表していなかったが内部では対策を取っていたようだ。外部で発表すると他の会社も従わなければならないことになると大きな迷惑をかけることを心配したそうだ。

東電は原発事業のリーデイングカンパニーだから他の原発企業は東電に右に倣えだったのだ。東電がやらないと言えば皆やらない。しかし実際は他社が検討しているという情報を得て急遽、対策本部を立ち上げ本格的に検討したらしい。ワーキンググループを立ち上げた。

でも東電内部ではいろんな検討がされていたという。

防波堤の規模から費用は数百億円、後期の4年と見ていた。武藤副社長に報告したらしい。若い技術者はこれをやらなければ「安全性の再評価」(バックチェック)を通らないと主張したそうだが、何故か武藤副社長の判断は土木学会に検証依頼だったという。若手技術者はそれを聞いて「力が抜けた」と公判でいったそうだ。

武藤副社長にしてみれば巨額な投資、稼働中の原発の運転を停止する決定権限はもっていなかったという。そうだろう、当時は勝俣会長が絶対的権限を持っていたのだ。いわゆる東電は大企業病罹っていたのだ。

また、国は直ちに安全対策、運転停止を求めていないという。確かにそこまでは求めていないが、これは企業の経営トップの判断次第だ。

3.11東北地方太平洋沖地震、津波での被害を見て、当時の民主党政権で菅総理は中部電力の浜岡原発に対して運転停止を要請したが、中部電力は抵抗した。結局は総理の要請として重く受け止め運転停止した。

浜岡原発は東海地震の震源域の真っただ中にあり、いつ起きても不思議ではない東海地震だ。菅総理の考えも支持できるが、いまだ東海地震は発生していないのも事実だ。

更に判決でおかしなことを言っている。

法や規制は絶対的な安全確保を前提にしていないという。しかし法や規制の目的は国民の身体、生命の安全、財産を守ることではないのか。法で解釈に迷ったら第1条目的をしっかり読めと教えられたことがある。裁判官こそしっかり読み込む必要があるのではないか。

どうしても裁判で判決となると過去の判例を踏襲しようとする。過去の判例と判断が違うとそこを指摘されるのだ。しかし時代の流れで法解釈、事業者の責任も厳しくなってくる。巨大技術の応用は万一の時の被害も巨大になるのだ。

巨大技術、危険な技術を使って事業展開している企業の経営者には特段の注意義務、安全配慮義務を課すべきだ。

焦点は「巨大津波を予測し対策をすべきだが間に合わない。間に合わなければ運転を停止するか」と言うことだろうが、運転停止の法的義務はないが10mを超える津波が押し寄せ電源喪失を認めた。

日本社会では原発の有用性は認められている。止めることによる社会への影響は大きい。対策には巨額な費用が掛かるし工期から考えて間に合わず、運転停止するしか考えられなかった。そういう状況下で慎重な判断が必要だったという。

だから対策もせず、運転を続けた結果、若手技術者の言う通り巨大な津波に襲われた。でも当時としては経営陣に責任を課すことは難しいと判断したのだろう。

「疑わしきは罰せず」では責任を取るべき人が責任回避できる。「疑わしきは有罪に」が企業事件には必要ではないか。

甚大な事故を起こし、人のいなくなった町は荒廃、遠く離れた町で生活を強要され、汚染水はたまるばかりで3年後には限界、汚染土壌の中間置き場は確保されても2045年には最終置き場の確保が必要になるが目途はたっていない。病院に入院していた44人の患者が避難で体調を崩し死亡されたことも事実だ。

判決後に出された3人のコメントは「事故により多大な迷惑をおかけした。改めてお詫び申し上げます」というコメントを発表した。指定弁護人の追及にことごとく反論し、責任回避した3人の本心なのか。

控訴し、しっかり責任追及すべきだ。過去の判例の踏襲ではなく、今から新しい判例を構築する打ってつけの事案ではないか。3人には人生をかけてしっかり反省してもらうことだ。

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