2019年9月17日火曜日

東電旧経営陣強制起訴の判決迫る:安全配慮、品質確保で経営責任を問わなければ事故はなくならない


福島第一原発の事故を巡り業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣に対する判決が19日に下される。東電の原発事故、JR西日本の宝塚での脱線事故では事業者の経営責任が問われるが、実際にはJR西日本では現場の責任者の責任追及で経営者は無罪放免だ。

一方、自動車メーカーをはじめレオパレスでは品質管理での不正は見つかった。弁明記者会見では社長が出席するも「知らなかった」「報告を受けていない」と責任逃れが横行する。

企業の不祥事では株価が下がり経営上問題があれば経営トップが責任を取るが、安全配慮や品質確保で直接責任を取ることはない。

その要因に、今まで争われた事故の裁判で経営者に業務上、安全確保について責任はないという判例がある。日常業務として責任は課せられていないというのだ。

だからこの判例を踏襲して経営者に業務上安全配慮義務なしとして現場御責任者、直接の担当者が責任を取ることで済まされる。

安全配慮、品質確保に経営トップは責任がないのだから、取締役会や経営者が出席する社内の会合で安全配慮、品質確保の話は出ているはずだが、認めると経営トップの責任が追及されるし、会社全体の責任問題にもなりまずいのだ。

だから経営者の責任を回避するためにも「知らなかった」「報告を受けていない」と責任回避の発言をするしかない。

また、巨大技術や新規事業では監督官庁より企業の方が専門的知識や技術が豊富でどうしても技術、知識で企業を頼らざるを得ない。

東電福島第一原発は日本で最初にアメリカの原発をそのまま導入した。だから技術面でも当時の科学技術庁の担当者より東電の技術者の方が上だった。だから東電の思うように導入出来たのだ。

そういった東電優位の立場が「津波15.7m予測」でも貫かれ、地震に関する政府の調査機関の「15mを超える津波」予測を若手技術者は警告したが、東電経営陣は信用せず、対策を取らなかった結果が3.11の甚大な放射能汚染事故へとつながった。

例え対策をしていたとしてもこのような事態は回避できなかったと弁護人は抗弁するが、それは身勝手すぎる。実施済みでも甚大な被害が出たということとは話が違う。

また、亡くなった理論物理学者の武谷先生が指摘されていた。東電の福島第一原発は日本の事情を全然考えずアメリカの仕様をそのままに導入した。だから日本では地震、津波災害が想定され、電気設備などは高い場所に設置すべきであるが、福島第一原発はプラントと同じ高さで設置しているのは問題だと指摘していた。

津波対策も東電は怠ったが、近くの東北電力女川原発では対策を実施し今回の地震、津波でも近隣の住民の避難場所として役立ったのだ。東電と比べて経営上雲泥の差がある。

巨大な技術、公共の安全を確保すべき事業を展開している企業では経営トップの安全配慮、品質確保に責任があるという判例を確立すべきではないか。

そういうことを考え19日の判決に注目だ。

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