2019年9月22日日曜日

東電・旧経営陣3人に無罪判決(3):控訴して責任究明を 一般社会通念上、通用する判決になっていない


東電旧経営陣3人に対する業務上過失致死傷罪の強制起訴で下された東京地裁の判決は、一般社会通念上から考えても通用する判決ではなく、ここは起訴して上級審でも論争を深めるべきだ。

例え、福島第一原発事故前後の法整備、規制強化があるとしても巨大で危険な技術を活用した原発事業を展開している企業のトップに対しては特段の安全配慮、注意義務を課し、このような甚大な事故は未然に防止すべきである。

「あれだけの事故だ。誰かが責任を取らなければ」と思う福島一原発事故だった。東京地裁の判決でも「事故の結果はまことに重大で取り返しのつかないもの」と認定しながら法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方が絶対的安全性の確保まで前提にしていなかった」と、予見可能性の有無にかかわらず刑事責任は負えないというのだ。

国の法令や規制、指針などは国民の身体、生命の安全、財産を守ることを目的として存在するのではないのか。それは事故の前も後も変わることはないと思うが、そうではないのか。

何かしら東電の経営者の責任を回避しようとする姿勢が見られないか。

国の法令、規制などをあいまいにし骨抜きにしているのは原発事業者自身ではなかったのか。「こういう場合は対策工事を終わるまで運転を止めなければならない」なんていう内容の規定があるのか。そこまで言わないと事業者は判断できないのか。

確かに活断層の上には原発の重要施設を設置することは禁じている。そこで敷地内に断層があったり、活断層がつながっている可能性がある場合、事業者は必死になり否定する。学識者でも「活断層ではなく、地すべりだ」ということもある。

大事なことが何一つすんなりと決まらないのが原発業界の一番の欠点だ。

今回の東京地裁の判決や新聞報道を拾ってみた。

東電の経営人は「知らない、ただの試算ではないか」、「長期予測は信頼性がない」、「私に権限はない」、「たとえ対策を建てていても事故は防止できなかった」、「土木学会に検証を依頼した」などあらゆる面で疑問を投げかけ、責任回避に走る。

問題の地震調査研究推進本部の長期予測「三陸沖から房総沖はどこでもM8.2、30年以内で20%の確率」について、専門家の意見が分かれた。

作成に関係した専門家は「もっともおきやすい地震を予測」したそうだが、東北大の2人の専門家は疑問を呈した。一人は「どこでも地震が発生する」記述に異論を発したし、もう一人は「北部と南部では地形が異なり乱暴な予測と批判したそうだ。

地震の発生メカニズムが分かっていない今、国の機関による予測に対して反対意見はある。「地形がどうだこうだ」、「震源が広い範囲」などは地震予測では常識だ。

原発立地に厳しい見方がされている現在、原発立地を緩和しようとする御用学者の意見か。指名検察官が何故、もっと専門家の意見を求めなかったのか。裁判官は「長期予測」の信頼性に大きな疑問を持ちこれが無罪へと影響したのではないか。

それに、こうも東電の対応のまずさが目立った背景があったのだ。新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が停止したために赤字に転落した。それに加えて今回数百億円、工期4年の対策工事を実施すると更に収益が悪化する経営環境にあった。

当初は15.7mの津波高を隠していたが、他社が長期予測に基づき社内的に対応をしていることが知って、東電も急遽対策チームを立ち上げたそうだ。日本電源は、防波堤の変わりに盛り土でかさ上げしたり、非常用電源の防水対策をしたらしい。近くの東北電力女川原発も対策したために津波発生時は住民の避難所となったらしい。経営者の判断が雲泥の差をもたらした。

経営者が確認をもてなければ自分で情報収集し危険の発生を予測する情報収集義務、安全配慮義務はなかったのか。

判決では、指定弁護人が3人が情報収集していれば津波の来襲は予見可能だというが、更に3人が情報収集したとしてもその認識にいたるような情報を得られたとは認められないという。

どうしてそういうことがいえるのか。原発のリーデイングカンパニーといわれる東電だ。会長、社長、副社長らがもっと権威者に相談していれば、もしかしたら認識にいたる可能性もあったのではないか。

それは企業トップの安全配慮義務、注意義務の意識の問題だ。下請けの若手技術者は長期予測を信じてシミュレーションし、15.7mの津波の来襲を予見したが、企業のトップはそこまでの安全配慮がなかったのか。お粗末な経営者としかいえない。

控訴し、しっかり東電経営者の責任を追及すべきだ。


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